起業家教育を多くの人に

ひょんなことから、かつての出向先でスタートアップへの投資や育成に関わらせてもらったことがきっかけで、起業家と呼ばれる人たちと(本格的に)お付き合いをするようになって7年ほどになります。

組織を離れた今も、数社のスタートアップに関わらせてもらい、定期的にオフィスに行ってそこで仕事をさせてもらうなど、日常的にスタートアップ企業との接点があるので、「スタートアップの今」については引き続き一定の肌感覚を維持しているかと思いますし、自分にとっては馴染みのある、空気のような当たり前のことになっています。

ただ、それは一般の企業に勤めている方の多くにとっては、当たり前のことではないのだな、ということを、大企業の方と話していて、改めて気づかされることが少なくありません。大企業が困っている課題の解決に、スタートアップが取り入れている手法やサービスが役に立つ、ということも少なからずあるように思うのですが、そうした情報を大企業の人は知らないことが多いな、と感じます。

その意味で、起業家を生む教育は、起業家にならなかった人にも役に立つのだと感じます。リンク先の記事を読んでいると、先行する米国とそれを追う欧州の事情がわかるのですが、日本の教育機関でこうした取り組みがどうなっているのか、残念ながら私には詳しいことがわかりません。おそらく、欧州の後塵を拝する、というような状況であるのかな、とは思っています。

> コラム-ヨーロッパにおける起業家教育事情-

起業家を育てるだけでなく、既存の企業や事業をより良いものにするためにも、起業家教育が充実することの意義は大きいと思うのですが、一点気になるのは、どうしても日本の場合、アメリカのスタイルを無条件・無批判に受け入れてしまいがち、ということ。

リンク先でも指摘されているように、

ヨーロッパの価値観では起業家教育はValue for othersに力点が置かれているが、ここが米国ではValue for myselfに力点があるということだ。日本人の思考回路はヨーロッパに近いと言えるのかも知れない。

これは、私も漠然とながら感じることと共通しています。スタートアップにとって、VCが非常に(圧倒的に)大きな力を持つ米国と、大企業の役割が相対的に大きいと思われる欧州の違い、ということの反映でもあると思います。そして、その面でも日本は米国型ではなく、欧州型に近いのではないでしょうか。

ともあれ、日本の大企業のイノベーションのためにも、また今後の個人のスキルセットという観点でも、起業家教育の充実は重要なポイントだと感じますし、記事にある他国の事例のように、小学生の段階から起業家教育をスタートさせることの重要性は、時代の大きな転換期を迎えて、今後ますます大きくなるのではないか、と感じるこの頃です。

新しい「雇い方」=「働き方」のきざし

最近、求人サイトなどを見ていてきざしを感じるのは、雇う側も「自由な雇い方」になってきているのかな、ということ。まだまだ、少しづつの変化なのですが。

この変化は、1)自社の事業である新規事業の支援の過程で起こる人材募集の観点と、2)組織を離れて独立した自分自身の起業プロセスの観点の両面で、非常に興味深いものと感じます。

これまで求人というと、かなりカッチリしたフォーマットで募集されていて、例えばアルバイトであれば、何曜日の何時から何時までの勤務、休憩は何分で時給はいくら、といったことが、あらかじめ規定されているものでした。

これは特にいわゆる「下請け」とか「外注」の請け仕事だと、元の発注主に対してもこうしたカッチリした条件での契約をしている関係で、そうならざるを得ないんだろうと思います。また、大企業だと、コンプライアンスだとか管理の都合上、こうしたフォーマット化されたもので労働を把握し管理して行かなければならない、ということもあるのでしょう。

しかし、冷静に考えると、例えば書類の仕分け作業で納期・完了期限が毎週金曜の15時であれば、それに間に合うなら、仕分けが終わるのが2日前の水曜日の午前中であろうと当日金曜日の朝であろうと構わないはずです。それを、木曜日の10時から15時までの事務作業という形で、時間や賃金を原則固定してアルバイトであれ、さらには社員であれ雇用してきたのが従来の方法でした。

しかし、この従来の雇い方だと、水曜日なら時間が空いているのに木曜には別な予定がある、という人に仕事を依頼することができません。仮にその人がとても正確で優秀な書類仕分けのプロであったとしても、木曜の指定時間に来れる人がちょっといい加減でミスをよくするような人しかいなければ、その人に頼むしかなかった。

そして、求人関連のサービスも、こうしたカッチリしたフォーマットに沿って組み立てられているので、自由度の高い求人というのがそもそも難しかった、という事情があるのかもしれません。

最近になって、費用を払って利用する従来型の求人サービスの他に、ジモティのようなローカル情報の無料掲示板サイトで求人したり、求人サイトでもindeedスタンバイのようなリスト型・検索型で掲載無料のものが出てきたりしていることで、特に中小企業でも若い会社の求人は、こうしたサービスやサイトを通じて行われ始めているように感じます。

そうした会社の求人は従来の求人スタイルからは自由で、たとえば時給は◯円だけど終わってしまえば帰っていいです、というような実質的に出来高払いであったり、だいたいこのくらい払うけど時給で払うか1回いくらで払うかは相談して決めましょう、といったものを実際に見かけています。また、働く時間についても、いついつまでに終わっていれば問題ないから、それまでに終わらせてくれればいつやってもらってもいいです、といった求人も、やはり実際にありました。

まだアルバイトがメインですが、こういう求人募集が出てきてることは、これからの雇い方の進む方向を示唆しているように思います。

労働法制的に、こうした求人やそれに基づく雇用が現行法上問題ないかというと、微妙な部分はあるのかもしれません。ただ、適性や能力に関係なく時間で拘束し、働く側の都合より雇う側の管理の都合で勤務時間を拘束する、というやり方は、人手不足の今の日本においては、ふさわしくないものになっている、ということは言えると思います。

もちろん、こうした雇い方ができる仕事とそうでないものはありますが、一律に労働時間の長さと給与や働くタイミング(日時)を固定した「働かせ方」は、副業の解禁などとともに、再考するする時期に来ているのかと思います。

それをやると労務管理が複雑化する、という声が聞こえそうですが、そういう仕事こそデジタル化し、近い将来にはAI等も導入して管理すればよく、ついでに会社の管理部門のスリム化を図っていく、ということが大切なのではないかと思います。

そして、こういう働き方が一般的になるなら、仮に組織を離れて独立しても、自分の事業が軌道に乗るまでの間は、自分の事業に支障のない空き時間に自由度の高いアルバイトなどの雇われ仕事を取り入れて最低限の収入を確保する、ということが可能になるはずで、そうすれば独立に対するハードルも低くなるのではないか、と思います。

さらには、自分の事業と直接間接に関連するようなアルバイトをすることで、単に収入を確保するだけでなく、雇用主との人脈形成や、業界知識の習得、リアルな定性的マーケティング情報の収集など、お金では測れない価値を得ることすら可能でしょう。この点ついては、以前にも指摘しました。

 

実は私も、ご近所の貸会議室の管理の仕事を見つけたので、自社事業とは別に個人としてそのアルバイトを始めています。金額的な実入りは微々たるものですが、時給とはなっているものの、やることをやればそれでOK(規定時間ではなく成果に対する報酬)で、前回の利用から次の利用予約までの間の都合の良い時にやればよい、という雇用主側からの承諾をもらっているので、自宅の行き帰りの少しの時間を使ってやるだけですから、負担も微々たるもの。その代わり、会議室を借りたいとなればそこを借りればよいですし、貸会議室ビジネスの実情(稼働率など)も見えてくるなど、興味深いものがあります。また、雇用主との良好な関係もあり、出張不在などの際に融通を利かせてもらえるのも、さらに柔軟な働き方が出来てありがたいところ。

近い将来には、こういう雇い方=働き方が増えてくるのだろうと思われ、そうなれば自分が働くことをもっと柔軟に組み立てられることになるので、組織に属するか否かという境界線も今よりは曖昧になって、独立を考える人にとってはハードルが低くなる可能性もあるかな、と思っています。

ただ、働く側が、そうした働き方に順応して労働観をアップデートし、自分で組み立てるスキルを持つことは必要にはなってくるので、雇う側とともに雇われる側(働く側)の意識も変わっていく必要はありそうです。

AIとお弟子さんを採用する時代が来るのかな、という話

少しづつ頂く仕事が増えるにつれて、そのうち弊社もだれかをメンバーとして迎える、ありていに言えば人材採用して雇用することを考えるときが来るのだろうか、なんていうことを、ふと思いました。

会社を作ったのは、個人だと受けられる仕事に制約があるということで、ビジネスチャンスを狭めないためでした。実態は個人事業主と変わらないのが現状ですが、会社を作る過程で「将来どのようにビジネスを大きくし、雇用を生むのか」という問いかけを頂くことも何度かあって、会社のメンバーを増やすということが気になっていたのは事実。

一方で、すでに様々なアウトソーシングサービスがあり、遠からずロボットないしAI(のうちでも「浅いAI」)がそれをこなす分野も出てくることになるのだろうと思うと、「猫の手を借りる」タイプの人材雇用はすでに必要がなくなってきているし、将来はなおさらそうなのだろうと思います。いわゆる「しくみ化」のできる仕事は、そのしくみをロボットやAIにインプットすることが容易だということでもあり、早晩、人間のやることではなくなるだろうし、人間がロボットやAIと並んで同じ仕事をすることは、悲劇しか生まないと思っています。

チャップリンの映画「モダンタイムス」では、機械と並んで同じ仕事をし、歯車に巻き込まれる人間をコミカルに描いていましたが、実際には、機械のパフォーマンスに劣る人間が機械と同じ仕事をすることは苦痛なだけでなく危険なことであり、報われないことだし、人としての尊厳を失いかねない。

かつての産業革命で機械が肉体労働を代替したように、第4次といわれる現在の産業革命では、知能を持った機械、つまりロボットやAIが、一定の判断まで含めた人間の頭脳労働の一部を代替するだろうというのが一般的な予測ですし、そこで知能をもった機械にパフォーマンスで劣ることになる人間が従来の仕事にしがみついていても、幸せなことはないだろう、と思います。

となると、自社にメンバーとして迎える人材とは、自分(自社)の仕事のコアなところをどう分担するか、あるいは自分(自社)のコアコンピタンスとシナジーのある別なコアコンピタンスを持つ人をパートナーとしてどう迎えるか、ということになるのかな、と。

別な言い方をすると「新卒一括採用」的なやり方では、立ちいかなくなるように思います。もともと規模が小さい企業であれば「一括」というほどのまとまった人数を採用できないですし、一方、大企業であれば人力に頼るべきでないところは今後どんどん知能をもった機械が採用されていき、その分、生身の人間の採用は相対的には減るのかもしれません。

むしろ、ちょっと先祖帰りをして、かつての徒弟制度でお弟子さんをとったり、あるいは丁稚奉公の丁稚・小僧さんをとったりしたことに近い人材採用が再発見されるんだろうか、とも思います。

私の祖父は文楽の三味線弾きでしたので、徒弟制度の中に生きた人だったわけですが(とはいえ私が小学生のうちに亡くなったので、詳しいことはあまりよく知りません)、自分もまた、新たな形の「お弟子さん」を探し、育てて、仕事仲間を増やしていくことになるのだろうか、それが自分の会社にメンバーを迎えるということの具体的な姿なんだろうか、と。

もちろん、これは自社のコアの価値自体が、知能をもった機械では(少なくても当面の間)代替できないものであるかどうか、つまりは自社のビジネス自体の賞味期限というところがまず検証されなければいけないのですが。

そして、それが仮にOKであったとしても、メンバーを迎える=人を雇う=お弟子さんをとるだけの基礎的な企業体力をつけないことには絵空事でしかなく、まずは、自分(と家族)が食べていくことに十分といえるだけのビジネスにすることが先決であり、目先の課題ではあるのですが。

資質診断(ストレングス・ファインダー)を受けてみた

ストレングス・ファインダーという、アメリカのギャラップ社が作った資質の診断があります。これは200万人におよぶインタビュー調査をもとに作られた個人の資質の診断で、34の資質(強みとなりうるもの)を明らかにしてくれるというもの。オンラインで簡単に受けることが出来、上位5つの資質だけを知ることが出来る簡易なものと、34の資質のすべてについて自分がその資質を持っている度合いを順位付けしてくれるものとがあります。統計的なファクトに基づくもので、上位5つの資質だけでも(順位を問わず)同じになる確率が0.007%以下、1万人に1人未満という多様性がある点でも、ある程度信用できるものかな、と思っています。

もともと数年前に旧版の本を買い、付属しているアクセスコードでオンライン診断をして、上位5つの資質については自分の診断結果を見ていて、「まぁ、そんなもんかな」というくらいでそのままになっていたのですが、たまたま、シェアオフィスの知人が新版の本を持っていて、会話をしたことがきっかけで、改めて上位の資質を活かすことを見直してみたのでした。今回は、追加で費用を払って34のすべての自分の資質の順位付けを知りました。

 

私の上位5つの資質は、

「着想」:新しいアイデアを考えるのが大好き。全く異なる現象に見えるものの間に、関連性を見出すことができる。

「適応性」:流れに沿って進み、今を大切にし、それぞれの時点で進む方向をひとつずつ選択することにより、将来を見極める。

「達成欲」:並外れたスタミナがあり、旺盛に仕事に取り組む。自分が多忙で 生産的であることに大きな満足感を得る。

「最上志向」:平均的ではなく最高の水準を個人ないし集団 において追求。単なる強みを最高レベルのものに変えようとする。

「戦略性」:目的に向かうための選択肢を想定でき、いかなる想定 に直面しても適切なパターンと問題点を直ちに予測できる。

ということだそうです。

受けた当時はまだ独立前だったので、自分の資質をどう生かしていくか、ということを今ほどは気にしていなかった、ということもあったと思います。

 

今回、自分の34すべての資質のランキングを見ると、最下位は「競争性」。これには深く納得で、思わず笑ってしまいました。同じ土俵で他人と競争をするくらいなら自分で勝手に土俵を作ってそこでトップになる、ということはかなり若い時から思っていたことなので(大学生くらいの頃からだと思います)、さもありなん、という感じがします。

6位以下の資質を見てみると、詳細は省きますが、上位15くらいまでの資質は、何らかの形で仕事などに活かせているかな、と思うのものが多く含まれましたが、一方で、比較的上位にありながら、自分としてはそういう資質があると感じたり、活かせたりしていないものもいくつか。そのなかには「コミュニケーション」の資質が含まれていて、改めて、自分の考えたことを言葉にすること、とりわけ文字にすることをちゃんとやろう、と思いなおしました。ブログを書き続けることも、その一環として、ちゃんとやらなければ、と。

この「コミュニケーション」の資質とも関連するのと思うのですが、私の場合「親密性」が14位であるのに対して「社交性」は22位。一部の人との深いお付き合いはある一方、パーティーなどで見知らぬ人と次々と、というコミュニケーションは苦手なので、そのあたりも納得のいく結果が出ているな、と思います。

実際、独立してからの仕事も、過去にご一緒に仕事をさせて頂くなどして、よく私を知って下さっている方からお声をかけて頂くことがきっかけになっています。弱点を補強するのではなく強みを伸ばすべし、という、このストレングス・ファインダーの趣旨からすれば、私の場合は、知り合いを増やして仕事のチャンスを広げるということではなく、件数は少なくても着実に仕事をこなし、ご一緒した方からの信頼を得ていくことで次の仕事のチャンスを広げていくことが大切なのかもしれません。

総じて、自分の資質で上位に来ているものは、エネルギーを内側に使うものが多い、というのも、新たな気づきでした。「社交性」もそうですが、自分の外に向かってエネルギーを使う資質の順位が低いようです。

エネルギーを内側に向かって使いがちなので、ともすれば「よくわからない人」「とっつきにくい人」となる可能性もあるので、知り合った方がもし自分に興味を持って下さったときには、このブログを見て頂くことが、川端ってこういう奴なのか、と思って頂けるきかっけになるようにもしていかなければなあ、というのも、ブログをちゃんと書いていかなければ、と思った理由のひとつ。

自分だけでは診断結果を読みこなすのは難しかったので、ストレングス・ファインダーの診断結果をもとにしたコーチングのセッションを受けたのですが、これはとても有益でした。そのセッションの結果をもとに、自分なりに整理したのが、今回のブログエントリの内容になっています。セッション後には、改めて本や診断結果を読み直したり、資質相互の関係を考えてみたり。そういう内側に向けたエネルギーの使い方が、この診断によるところの自分らしさ、ということなのかもしれません。

自分だけで分析するには、上位5つだけの方がかえってシンプルで戸惑わないのかな、と思います。34の資質すべてのランク付けを出されても、どう消化していいか分からなくなったり、下位の資質がないことに目がいって「強みを生かす」という本来の趣旨から離れてしまう可能性もあります。そんなこともあって、書籍版では上位5つに絞られているのかもしれません。書籍で上位5つを診断した後、サイトから追加で残りを含めた34すべての資質の診断結果を買うこともでき、追加購入でも値段はほとんど変わらないので、まずはサイトまたは書籍に付属するアクセスコードを使った上位5つの診断から始めるのが良いのではないかと思います。

リンダグラットン著の「ライフシフト」では、これまでの単線・単一のキャリアではなく、複数・複線のキャリア形成が今後は必要になる、という指摘がありますが、では具体的に何を選べばいいのか、ということを考えるときには、こうした自分の資質と、その資質を磨いた強みを活かせる仕事をえらんでいく、ということが大切なんだろうと理解しています。

その点で、独立した人・する人に限らず、これからのキャリア形成を考えるうえで、ストレングス・ファインダーは一つの参考になるものだと思います。ご興味があれば、試してみてください。

 

オンラインの診断はこちら(ギャラップ社の日本語サイト)。

https://www.gallupstrengthscenter.com/Purchase/ja-JP/Index

 

書籍はこちら。

ライフシフト

人重視と役職重視

営業部門に属していた頃の年中行事のひとつに、取引先名簿のメンテナンスがありました。お取引先の人事異動や組織変更を名簿に反映させるもので、この更新をもとに、年賀状や昨今は大変少なくなりましたが中元歳暮といった時候の贈り物の手配が行われるという仕組みです。

このメンテナンスには大きく2つの基準があり、ひとつは「役職重視」もうひとつが「人重視」と呼ばれていました。前者は、役職を固定してそのポジションにある人が変わると人名を書き換えていくもの。後者は、人名を固定し、その人の役職が変わるとそれを書き換えていくものです。

どちらの基準で更新するかは、部署内のベテラン(役職者や年長者、あるいは長年担当している人)に確認しながら行われていたのですが、圧倒的に「役職重視」の方が多かったように記憶しています。「人重視」で、役職がどうなろうとも名簿上に名前が残り続ける人は圧倒的に少ない。それが、名簿のメンテナンスにとどまらず、日本企業のビジネスパーソン一般の標準的なおつきあいの原理なのだなぁ、ということを、今になって改めて感じます。異動があるとドラスティックなまでにあっさりとそれまで日々連絡を取っていた関係先の方々とのお付き合いが止まってしまう、というケースもたくさん見てきました。

一方で、海外のビジネスパーソンの場合はむしろ「人重視」の行動をとる人が多いように感じます。あるとき、親しくなりつつあった海外企業の方から、その企業が関係するカンファレンスへの参加の打診があり、自分では役不足と思って上司に参加を検討してもらおうと思うと返答したところ、「招待するのはオマエであって、お前の上司ではない。」とキッパリと言われたことがありました。結局この時は調整がつかず参加を見送ったのですが、その後も同じようなことがありましたので、海外とビジネスされる方においては、この点は留意しておいた方がよいと思います。

海外企業(と一括りにするするのはやや乱暴かもしれませんが)の場合、日本とは違って転職もごく当たり前にあり、新任者と前任者が同じ会社の先輩後輩の関係であることが多い日本とは異なりますから、役職重視の考え方ではいつまでも人的な関係が構築できないままになりかねませんので、こうした人重視のやり方が合理的ということもあるのでしょう。

たまたま「定年後」という定年後を扱った本を読んだ中で、退職して予想以上にぷっつりと勤め先とのご縁が切れ、自分の名前を呼んでもらえる機会は病院に行った時くらい、というエピソードが紹介されていて、取引先名簿のメンテナンスは役職重視が原則だったことを思い出したのでした。これから日本の働き方が変わっていくとき、名簿はともかく、一人のビジネスパーソンとしてのお付き合いはおのずと役職重視から人重視に変わっていくように思いますし、そうでなければ変化に対応していくのは難しいのではないか、と感じます。新しい事業を作ったり、あるいは新たに会社を興し仕事を作る、という場合を考えても、大企業の子会社であるなら別かもしれませんが、人重視のつながりがないと、なかなか難しいのでは、というのが実感です。

自分の場合、かつてのお取引先やあるいは同じ職場だった方々と「人重視」のお付き合いを頂いているケースが多く、在職中や退職時に気にかけてご連絡を頂いたり、また独立してからの仕事も、こうしたつながりから頂いていることを思うと、改めてその有り難さを噛みしめる日々です。

 

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年下の人たちとのおつきあい

出向していた時からそうなのですが、気が付けば、その場で一番年をとっているのが自分、という環境の中で過ごすことが当たり前になって、もう6年くらい経ちます。

それは、決して自分がその組織のトップである(だった)ということではなく、職場であれば役職として自分より上位の人が年下であったり、お取引先の方が皆さん若い方だったり、あるいはバラバラな組織に所属している人々の個人的な集まりであったり、状況は様々ですが、単に生まれたのは自分が一番早い、あるいは、そうでありそうだなということがとても多く、会社を辞めてからも、それが普通な日々の生活。

なので、たまたま、自分と同じか年上の方の方が多い場に行った時にとても不思議な感じがして、また、そう感じている自分に驚いたりします。

人生90年100年が当たり前になると言われているこれからの時代、もちろん、自分の年上の方々も長生きされていくわけですが、長くなる人生の中で、自分より年齢が若い人たちとのつながりが薄いと、それはそれで味気ない人生の終盤になりそうな気がします。

もちろん、同年代ならではの親近感とか、年上の先輩たちに囲まれることの安心感といったものは、これからも大切であり続けるものです。そこに、年下の人たちと一緒にいることの楽しさといったものが加わるなら、なおさら良いことではないかな、と。

もちろん、そのためには、先輩風吹かせたり、小言ばかり言う年寄りであったり、という、最近でいうところの「マウンティング」をするのではもちろんダメで、年齢が違っても共通して話せる話題とか、一緒に楽しめるアクティビティとか、そういうものが重要になるよなぁ、と。

実は、普段一緒にいる若い人たちには陰でウザがられているのかもしれませんが(だとしたらすみません 苦笑)、少なくても自分が受ける感じとしては、それなりに(?)自然に受け入れてもらっているような気がしていて、そうであるなら、とてもありがたいことだなと思っています。

創業から3か月

会社の設立から3か月が経ちました。あっという間にここまで来てしまった、という感じです。

 

設立までは、言ってみれば決められたレール(設立手続き)があって、その手順は本やサイトなどの情報を見ながら進めていけば、誰にでも出来るといえばそういうものだし、今は起業をサポートする情報もたくさんあるので、多少の戸惑いや不明点はあるにしてもとりたてて困ることはない、というのが正直なところでした。

 

ですが、会社がスタートしてしまうと、その経営をどうするかは、経営者の考え方ひとつでどのような道筋をとることも可能で、定まったルート・レールといったものはない。さっきまで見えていたはずのレール(と地面)は沈んでいき、気が付けば船は陸(おか)を離れてしまっている、とでも例えればよいのでしょうか。

 

おかげさまで、少しづつとはいえ、船は進みだしていますし、サラリーマンであった時と変わらない家族の様子はありがたくもありますが(時にはそれを腹立たしく思うこともあるのですが(苦笑 )、ある時点までには、一定のスピード(以上)で船が進んでいかないと、次の港に着くまでに積んである食料が尽きて飢え死にすることになってしまう、という意識は常に頭の中にあって。そのジリジリとした焦燥感というのは、スタートアップ企業とのおつきあいのなかで、頭では理解していたつもりだったものの、やはりそれが実感として感じられると違うものだよなぁ、と思ったりしています。

 

微風のときのヨットのように、ジタバタしないで今の風の力を最大限に推力に変えながら、目指す場所をぶらさないで進んでいくしかないかな、と、かつて乗っていたヨットのことを思い出したりしながら日々を送っています。

 

そんな自分の会社の「航海日誌」的な記録を交えながら、日々の仕事のこと(で差し支えないこと)などをここに書き溜めていこうかと思っています。