AIとお弟子さんを採用する時代が来るのかな、という話

少しづつ頂く仕事が増えるにつれて、そのうち弊社もだれかをメンバーとして迎える、ありていに言えば人材採用して雇用することを考えるときが来るのだろうか、なんていうことを、ふと思いました。

会社を作ったのは、個人だと受けられる仕事に制約があるということで、ビジネスチャンスを狭めないためでした。実態は個人事業主と変わらないのが現状ですが、会社を作る過程で「将来どのようにビジネスを大きくし、雇用を生むのか」という問いかけを頂くことも何度かあって、会社のメンバーを増やすということが気になっていたのは事実。

一方で、すでに様々なアウトソーシングサービスがあり、遠からずロボットないしAI(のうちでも「浅いAI」)がそれをこなす分野も出てくることになるのだろうと思うと、「猫の手を借りる」タイプの人材雇用はすでに必要がなくなってきているし、将来はなおさらそうなのだろうと思います。いわゆる「しくみ化」のできる仕事は、そのしくみをロボットやAIにインプットすることが容易だということでもあり、早晩、人間のやることではなくなるだろうし、人間がロボットやAIと並んで同じ仕事をすることは、悲劇しか生まないと思っています。

チャップリンの映画「モダンタイムス」では、機械と並んで同じ仕事をし、歯車に巻き込まれる人間をコミカルに描いていましたが、実際には、機械のパフォーマンスに劣る人間が機械と同じ仕事をすることは苦痛なだけでなく危険なことであり、報われないことだし、人としての尊厳を失いかねない。

かつての産業革命で機械が肉体労働を代替したように、第4次といわれる現在の産業革命では、知能を持った機械、つまりロボットやAIが、一定の判断まで含めた人間の頭脳労働の一部を代替するだろうというのが一般的な予測ですし、そこで知能をもった機械にパフォーマンスで劣ることになる人間が従来の仕事にしがみついていても、幸せなことはないだろう、と思います。

となると、自社にメンバーとして迎える人材とは、自分(自社)の仕事のコアなところをどう分担するか、あるいは自分(自社)のコアコンピタンスとシナジーのある別なコアコンピタンスを持つ人をパートナーとしてどう迎えるか、ということになるのかな、と。

別な言い方をすると「新卒一括採用」的なやり方では、立ちいかなくなるように思います。もともと規模が小さい企業であれば「一括」というほどのまとまった人数を採用できないですし、一方、大企業であれば人力に頼るべきでないところは今後どんどん知能をもった機械が採用されていき、その分、生身の人間の採用は相対的には減るのかもしれません。

むしろ、ちょっと先祖帰りをして、かつての徒弟制度でお弟子さんをとったり、あるいは丁稚奉公の丁稚・小僧さんをとったりしたことに近い人材採用が再発見されるんだろうか、とも思います。

私の祖父は文楽の三味線弾きでしたので、徒弟制度の中に生きた人だったわけですが(とはいえ私が小学生のうちに亡くなったので、詳しいことはあまりよく知りません)、自分もまた、新たな形の「お弟子さん」を探し、育てて、仕事仲間を増やしていくことになるのだろうか、それが自分の会社にメンバーを迎えるということの具体的な姿なんだろうか、と。

もちろん、これは自社のコアの価値自体が、知能をもった機械では(少なくても当面の間)代替できないものであるかどうか、つまりは自社のビジネス自体の賞味期限というところがまず検証されなければいけないのですが。

そして、それが仮にOKであったとしても、メンバーを迎える=人を雇う=お弟子さんをとるだけの基礎的な企業体力をつけないことには絵空事でしかなく、まずは、自分(と家族)が食べていくことに十分といえるだけのビジネスにすることが先決であり、目先の課題ではあるのですが。