データ(デジタル)覇権を巡る2つの対立軸

データを中心とする覇権争いに関しては2つの対立軸で捉えることが適切なのでは、と思っていたところにこの記事が出たので、自分の思考の整理もかねてまとめてみた。

> デジタル覇権 国家が争奪 米に焦り、対中包囲網

日本の地理的歴史的関係からアメリカと中国に目が行きがちであるが、これら2カ国を見ることでは、大きく2つある対立軸の1つしか見たことにならないのだと思う。

アメリカと中国は対立し、覇権を争うライバルの関係だが、やっていることはどちらも中央集権的な、ある意味では古いスタイルで覇権を握ろうという動きだ。中国はデジタルの万里の長城(いわゆる金盾)を築いてアメリカのGAFAを中心としたサービスを国内から締め出しているが、それによって中国版のGAFAを作ろうとしている、という意味ではアメリカと中国の動きは同じである。それをアメリカではGAFAという企業が、中国では政府が主導している、という主体の差にすぎない。中国の一帯一路についても、こうした動きの一部をなすものとして理解しておくべきだろう。

この米中2大勢力の存在のみを前提とするなら、日本はどちらにデータ覇権を握らせるのか、という選択肢しかなく、自国のデータを渡す先が違うだけ、ということになってしまう。

 © aKtivevision Ltd.

ここで見ておくべきもう一つの対立軸は、アメリカのGAFAに対してGDPRで牽制をかけるEU(欧州)の存在。EUという国家集合体の性質上も、彼らは脱中央集権ないし非中央集権的なデータの保有と利用を志向しているように見える。もし中国がEUに対してGAFAのような攻勢をかけるのであれば、EUは対アメリカと同様にGDPRでその動きを牽制することになるだろう。

EUを離れようとしている英国は、この構図の中で、どう振舞おうとするのか。ブレクジットを反EU的な動きと理解するなら、アメリカと同じ中央集権的な動きに与する、ということになるのだろうか。記事中の図にあるように、英国の握るデータ資源は米中に次ぐシェアを持っているだけに、ここはもう少し見極めが必要であると思う。

このように大きく2つの対立軸があり、英国の動きが不透明であるという中で、日本はどのようにポジションを取るべきか。この先は、個々人の考え方によると思うのでここでは立ち入らないことにしたいが、

  • アメリカと中国の対立に対して、どう対応するか(対立軸1)
  • 米中とEU(欧州)の対立に対して、どう対応するか(対立軸2)

という2つの視点で考えていく必要があるのではないか、と思っている。
そして、データないしデジタル覇権に限らず、この対立軸を意識しながら全体像を理解することが、この先の世界を考えていく上で重要なことだと思うのだが、冒頭にも書いた通り、どうしても米中のみに視線がいってしまいがちであるわれわれは、2つ目の対立軸を意識的に見ておく必要があると感じている。

(COMEMOより転載)

新しい「雇い方」=「働き方」のきざし

最近、求人サイトなどを見ていてきざしを感じるのは、雇う側も「自由な雇い方」になってきているのかな、ということ。まだまだ、少しづつの変化なのですが。

この変化は、1)自社の事業である新規事業の支援の過程で起こる人材募集の観点と、2)組織を離れて独立した自分自身の起業プロセスの観点の両面で、非常に興味深いものと感じます。

これまで求人というと、かなりカッチリしたフォーマットで募集されていて、例えばアルバイトであれば、何曜日の何時から何時までの勤務、休憩は何分で時給はいくら、といったことが、あらかじめ規定されているものでした。

これは特にいわゆる「下請け」とか「外注」の請け仕事だと、元の発注主に対してもこうしたカッチリした条件での契約をしている関係で、そうならざるを得ないんだろうと思います。また、大企業だと、コンプライアンスだとか管理の都合上、こうしたフォーマット化されたもので労働を把握し管理して行かなければならない、ということもあるのでしょう。

しかし、冷静に考えると、例えば書類の仕分け作業で納期・完了期限が毎週金曜の15時であれば、それに間に合うなら、仕分けが終わるのが2日前の水曜日の午前中であろうと当日金曜日の朝であろうと構わないはずです。それを、木曜日の10時から15時までの事務作業という形で、時間や賃金を原則固定してアルバイトであれ、さらには社員であれ雇用してきたのが従来の方法でした。

しかし、この従来の雇い方だと、水曜日なら時間が空いているのに木曜には別な予定がある、という人に仕事を依頼することができません。仮にその人がとても正確で優秀な書類仕分けのプロであったとしても、木曜の指定時間に来れる人がちょっといい加減でミスをよくするような人しかいなければ、その人に頼むしかなかった。

そして、求人関連のサービスも、こうしたカッチリしたフォーマットに沿って組み立てられているので、自由度の高い求人というのがそもそも難しかった、という事情があるのかもしれません。

最近になって、費用を払って利用する従来型の求人サービスの他に、ジモティのようなローカル情報の無料掲示板サイトで求人したり、求人サイトでもindeedスタンバイのようなリスト型・検索型で掲載無料のものが出てきたりしていることで、特に中小企業でも若い会社の求人は、こうしたサービスやサイトを通じて行われ始めているように感じます。

そうした会社の求人は従来の求人スタイルからは自由で、たとえば時給は◯円だけど終わってしまえば帰っていいです、というような実質的に出来高払いであったり、だいたいこのくらい払うけど時給で払うか1回いくらで払うかは相談して決めましょう、といったものを実際に見かけています。また、働く時間についても、いついつまでに終わっていれば問題ないから、それまでに終わらせてくれればいつやってもらってもいいです、といった求人も、やはり実際にありました。

まだアルバイトがメインですが、こういう求人募集が出てきてることは、これからの雇い方の進む方向を示唆しているように思います。

労働法制的に、こうした求人やそれに基づく雇用が現行法上問題ないかというと、微妙な部分はあるのかもしれません。ただ、適性や能力に関係なく時間で拘束し、働く側の都合より雇う側の管理の都合で勤務時間を拘束する、というやり方は、人手不足の今の日本においては、ふさわしくないものになっている、ということは言えると思います。

もちろん、こうした雇い方ができる仕事とそうでないものはありますが、一律に労働時間の長さと給与や働くタイミング(日時)を固定した「働かせ方」は、副業の解禁などとともに、再考するする時期に来ているのかと思います。

それをやると労務管理が複雑化する、という声が聞こえそうですが、そういう仕事こそデジタル化し、近い将来にはAI等も導入して管理すればよく、ついでに会社の管理部門のスリム化を図っていく、ということが大切なのではないかと思います。

そして、こういう働き方が一般的になるなら、仮に組織を離れて独立しても、自分の事業が軌道に乗るまでの間は、自分の事業に支障のない空き時間に自由度の高いアルバイトなどの雇われ仕事を取り入れて最低限の収入を確保する、ということが可能になるはずで、そうすれば独立に対するハードルも低くなるのではないか、と思います。

さらには、自分の事業と直接間接に関連するようなアルバイトをすることで、単に収入を確保するだけでなく、雇用主との人脈形成や、業界知識の習得、リアルな定性的マーケティング情報の収集など、お金では測れない価値を得ることすら可能でしょう。この点ついては、以前にも指摘しました。

 

実は私も、ご近所の貸会議室の管理の仕事を見つけたので、自社事業とは別に個人としてそのアルバイトを始めています。金額的な実入りは微々たるものですが、時給とはなっているものの、やることをやればそれでOK(規定時間ではなく成果に対する報酬)で、前回の利用から次の利用予約までの間の都合の良い時にやればよい、という雇用主側からの承諾をもらっているので、自宅の行き帰りの少しの時間を使ってやるだけですから、負担も微々たるもの。その代わり、会議室を借りたいとなればそこを借りればよいですし、貸会議室ビジネスの実情(稼働率など)も見えてくるなど、興味深いものがあります。また、雇用主との良好な関係もあり、出張不在などの際に融通を利かせてもらえるのも、さらに柔軟な働き方が出来てありがたいところ。

近い将来には、こういう雇い方=働き方が増えてくるのだろうと思われ、そうなれば自分が働くことをもっと柔軟に組み立てられることになるので、組織に属するか否かという境界線も今よりは曖昧になって、独立を考える人にとってはハードルが低くなる可能性もあるかな、と思っています。

ただ、働く側が、そうした働き方に順応して労働観をアップデートし、自分で組み立てるスキルを持つことは必要にはなってくるので、雇う側とともに雇われる側(働く側)の意識も変わっていく必要はありそうです。

台北での IISC Forum「物聯網晶片化整合服務新創國際論壇」で講演

仕事の性質上、普段の業務内容を公表できることがなかなかなく、珍しくそういう機会に恵まれましたので、近況報告を兼ねまして。

2018年10月11日に台北で開催されたIISC Forum「物聯網晶片化整合服務新創國際論壇」で講演をさせて頂きました。TAITRONICSというエレクトロニクス関連の展示会と併催する形でした。

当日のプログラムはこちらに。

 

 

演題は「IoTスタートアップにとってのボトルネックとその克服法」。

当日の概要は、ご興味ありましたらリンク先の記事(中文)をweb翻訳等を活用して読んで頂ければと思いますが(記者さん、とてもよくまとめてくださっていると思いました)、次の主力商品を真剣に探そうという台湾の半導体業界と、それをバックアップする国の姿勢がひしひしと感じられたフォーラム(論壇)でした。終了後の質疑応答も、制限時間いっぱいまで挙手をいただけ、厳しいご意見もありましたが、それも含めてご関心を寄せて頂いたことを大変ありがたく思っています。ご参加の皆様に、多少なりともお持ち帰り頂く価値のあるお話になっていたなら、曲がりなりにもお役目を果たせたかな、と思っています。

講演に使ったスライドは、ご参考までにこちらに載せておきます。

VIVA Technology, TOA, Computex/Innovex, IFA, Innotransはじめ、ここしばらくで見てきたこと聴いてきたこと感じたことを、スライドにも口頭での発表にも質疑への応答にも盛り込みましたので、それなりにオリジナルな視点で構成出来たのでは、と思っていますが、評価するのは聴き手ですので。主催者からは、ポジティブな反応だったとお聞きしているのですが、ネガティブなコメントも含めて、お聞かせ頂けるようにお願いしているところです。

拙い内容に拙い英語での講演であったかと思いますが、それはともかくとしても、だらしない格好で、年寄りくさいし、身長も低いし、どうにかならんのか、と写真をみた家人に叱責されてしまいました。確かにその通りで、身長だけは如何ともし難いですが(シークレットブーツ?)、もう少し見てくれだけでも改善しなければ、と反省。

一層精進してまいります。

>> 工研院今辦論壇 率專家為物聯網新創公司找方向 (聯合新聞網)

今の日本に足りないもの

3週間のWorkation を終え、その後ウラジオストク見学と台湾での講演を終えて、少し落ちついたかな、という感じです。

久しぶりに、海外でのインプットをじっくりと行い、また講演というアウトプットとそれに対する質疑応答などのディスカッションもした後で、痛切に感じることは、前回もちょっと書いたのですが、「考えること」が今の日本に必要とされているのではないか、「考えること」があまりにも少なく、あるいは薄くなっていないか、ということです。前回書いたことを読み直してみると、さらっと触れていた「考えること」についての必要性・重要性が、日増しにより大きな課題であると思うようになっています。

今週開催されていたCEATECでは、これまでに比べると、展示の内容もずいぶん様変わりし、時代の変化をより多く取り入れるようになっていると感じて、それはとても素晴らしいことだと思います。

ただ、展示されているものの中に、クルマに積まれた移動式ATMであったり、専用ハードを使った店舗の順番待ちを知らせる呼び出しベルシステム(フードコートなどで注文すると渡されて、自分の料理が出来上がると鳴ったり振動したりするアレです)があったりすることは、ちょっと不安になってしまいました。

確かに、今日明日のビジネスと、未来のビジネスでは求められるものが違い、今日明日でいえば、いきなりATMや呼び出しベルが要らなくなったりはしないので、そういうモノの必要性は否定しません。

ただ、本当に未来については別、と考えているのだろうか、というのが、不安なのです。

例えばキャッシュレス。にわかに注目されていますが、その根本には、現金を扱うことに伴う膨大なコストとリスクを劇的に減らして、社会の効率化を促す、という目的があるのだと理解しています。

お札や硬貨の製造にかかるコスト(単に原料だけでなく、偽造防止の技術開発なども含めた人的コストも)、現金を輸送するために輸送車を作り、盗難防止のために警備員を雇い保険をかけ、ガソリン代を使って運んで、高価な精密機器であるATMに補充する。銀行では午後3時にシャッターがしまった後、現金の勘定をすることに高学歴の優秀な人たちの時間が使われ、お店でもレジを閉めると同様の現金勘定が発生、それをある程度自動化するために、より高価なレジ機器を購入し…、という現金を扱うことによって発生しているコストに、私たちは目がいっていなかったし、つい最近まではそれに気がついていても代替手段がなかったわけですが、デジタルテクノロジーの進化とデバイス(主にスマートフォン)の普及がそれを可能にしたわけです。

そうであれば、お金の流れの中に、1箇所でも現金が介在したのでは、他のところがいくら「キャッシュレス」に見えても、それは本当のキャッシュレスではなく、結局は現金にまつわるコストがかかり続けることになります。

また、スマホで事足りる機能を、わざわざ専用の機器を作って対応することも、コストの増加要因になっています。

今の日本で「キャッシュレス」と言われるものには、どこかで現金をチャージしなければいけなかったり、結局は店頭でまとめて現金で払わなければいけなかったりするものも多く、それでは「キャッシュレス」の効果や社会的意義は半減してしまい、私たちのコスト負担も続いていくので、本当の意味でのキャッシュレスを実現した国とは、同じ値段のモノを売っても、コストのかかり方によって残る利益が違うことになります。

これは一例で、そのほかにも、ネットで予約したのに駅の券売機で紙のチケットを引き取らなければならない日本の新幹線のチケットや、海外の配車システムと同じように(乗客からは)見えても、実際には人間による配車室が挟まっていてアナログマッチングになっている日本のタクシーアプリなど、せっかくのデジタル化が中途半端なまま、本来であれば省ける機器や人手が未だに介在していて余分なコストがかかり続けているものが沢山あるのが、日本の現実です。そして、そのコスト分は、給料が一向に上がらない要因の一つにもなっている、と言えるのでしょう。

もちろん、現金輸送車とその警備員や、券売機やATMとそのメンテナンス要員などが要らなくなれば、こうした人たちは失業することになります。しかし、人手不足が叫ばれ、実際にそれが原因で倒産する会社も出ている中で、不要となりつつある仕事の雇用を守ることと、需要があるのに働き手がいないことで事業が行き詰まることとの社会的損失を考えると、どうにもいたたまれないものがあります。人手不足で、今ほど職を失っても次の職につける可能性が高い状況はないと言える時に、こうした社会の適正な作り直しをしていかずして、いつやるのだろう、と。

他にも思うところは多々あるのですが、「キャッシュレス」にせよ「ブロックチェーン」にせよ、技術的な詳細の理解の前に、それらの社会的な意味やインパクト、それらが生まれてきている背景、といった「思想」や「哲学」、ありていに言えば「考えること」がないと、下手をするとあさっての方向に努力してしまうことにならないか。よく考えることをせずに単に現象面だけを追いかけているせいか、日本人としてちょっと恥ずかしいなと思うような出展をしてしまう日本企業の姿を9月の欧州で1社ならず見てきただけに、危惧を強めているこの頃です。