「副業(複業)」を考える 〜本当に”コンビニのレジ打ちしてもしょうがない”のか?〜

昨今の「働き方改革」で注目されている「副業(ないし複業)」。

主には、企業に勤める人が、別な企業の仕事をすることをもって「副業」と定義し、従来は就業規則で禁止してきた「副業」を認めよう、という流れになっていることは、ご承知の通りです。

私自身は、勤めた会社が副業禁止でしたのでこの意味での「副業」の経験はないのですが、それだけに、この副業の定義にはちょっと違和感が。

人生100年時代と言われる中で、副業とは定年という強制的に迎えざるを得ない節目を乗り越えて仕事をして行くために、新しい仕事の可能性をテストをし、スキルや経験などを積んでいくためのもの、と広く捉えるのが本筋ではないか、と思うのです。それが当たり前になると、事実上、定年の規定自体が無意味になるので、今の20-30代の人などは、それが当たり前になるのかも知れない。そして、副業は今の本業のクオリティを高めてくれる可能性すら秘めているのではないか、と。

そうであれば、現在、自分が勤めている会社の仕事でも、日々行っている業務とは異なる仕事、例えば兼務先の業務は「副業」と捉えることができるし、出向などとなればなおさら、出向先での業務は「副業」に近いものではないでしょうか。

また、そういう捉え方をするなら、時給がいくらか、というのも、必ずしも問題ではなくなります。もちろん、じりじりと給与が減っている現実の中で、副業で稼いで生活費の足しにすることが切実なケースもあるのだと思います。副業の話題を扱った記事で、「副業解禁と言われても、今さらコンビニでレジ打ちのバイトしたってなぁ…」というような声が紹介されていたりするのですが、これは生活費をどうするか、という視点での話。

しかし、実際のところ、バイト的な副業であれば、コンビニのレジ打ちではなくても、どんな仕事でも時給の額などはたかが知れていて、そうした副業分の収入など、お小遣いの足しになるくらいがせいぜいではないでしょうか。

よほど生活費に困っているのでない限り、副業は直接的に「今の」お金を稼ぐため、というよりも、「将来の」お金を稼ぐために、知識や経験、スキルや人脈などを得るためのもの、と捉える方が、長い目で見て役に立つのではないか、と思います。

私自身の、副業と本業、そして複業の捉え方を図にしてみました。

最初の本業(ここでは「本業0」としました)の時点は、つまり社会人としてのスタートであり、この時点で私が定義する意味での副業は、原則的にはしないほうがいい、と個人的には思っています。核となる仕事のスキルという土台がないままに副業を有効に積み上げて行くことは出来ないと思うので。そして、よく言われる「1万時間の法則」が、一つの仕事について一定のレベルに達したと考えらえるために必要な時間だとすると、最短で3年は一つ目の本業に時間を使えるのが理想的ではあるかな、と思います。実際には、なかなかそうもいかない事情が出て来るのかも知れませんし、最初に選んだ仕事や会社が3年の時間を使うに値しない、と判断したら、振り出しに戻してやり直しをする、という選択もありうるのだと思います。

一つ目の本業(本業0)が一定のレベルに達したところで、将来の「本業1」につながる副業をスタートさせ、時間を使ってレベルアップして本業と言えるレベルになれば、本業0と1は、お互いに「複業」の関係になって行きます。

そこにさらに副業2をスタートさせて…という形で積み重ねて行くことで、自分ができる仕事をポートフォリオ化していき、また本業間の相互作用を活かして、他の人には出来ない仕事のアウトプットが出せるようになってくれば、他の人に代えがきかない仕事、競合が存在しない=価格競争に巻き込まれにくい仕事ができるのではないか、と。もちろん、少々理想論すぎるきらいはあるかも知れませんが、市場が求める「本業」を選び、そこで各本業のレベルを長く維持して行くことができるなら、これはあながち絵空事でもないと思うのです。

こうして、3つの本業がしっかりと並存して、そのシナジーが生まれる状況は、藤原和博さんがいう「100万人に一人の人材」になれている、という状況なのだとも理解できます。

自分を100万分の1のレアカード化させよ――藤原和博氏が語るAI時代にも価値を創出する働き方

じゃあ自分はどうなんだろうということで、「副業」を上に書いた私なりの定義で捉えて、上の一般的な図式に当てはめて、自分の「本業」「副業」「複業」の棚卸しをしてみました。

 

会社勤めが1992年から2016年までの約25年、この間に「広告・マーケティング」「通信」「スタートアップの投資育成と事業開発」という、主に3つの業務ジャンルを経験しているので、本業が3つと言っていいかも知れません。ただ、「広告」については、ほぼ実務に触れなくなって10年近いので、現在は「マーケティング」「通信」「スタートアップの投資育成と事業開発」ということでしょうか。オーバーラップしている期間がありますが、3つの本業を25年でやってきたということで、一つの本業あたり7-8年の時間をかけていますので、1万時間の法則はクリアしていると言って良いのかと思っています。

通信については、広告の仕事をしている中で、通信機器メーカーの海外マーケティング動向のレポートを作成して直接クライアントの部長さんに報告するという、広告会社の業務としては少々毛色が異なる仕事をさせていただいたことがきっかけで興味を持ち、自分自身がそこに深入りすることでさらにレポートの水準を高めることができたことから、長らく主に欧州の携帯電話市場について定期的に足を運んで実態をつかんでいました。

それが基礎となって、通信会社の担当に変わってからは、広告宣伝の仕事はほとんどせず、通信機器メーカー時代に得た市場動向の知見を生かして、経営計画のディスカッションをお手伝いをしたり、新規市場開拓のフィージビリティのお手伝いをしたりしていたのですが、ご縁があってその通信会社に出向することになったのでした。

そこで通信の真正面の仕事をするつもりでいたのですが、運命のいたずらもあり、予期せぬことでしたがスタートアップ企業への出資や育成にチャレンジさせて頂くことになり、一時期は出資先の外資系スタートアップ企業の日本法人にCOOとして事実上の出向をし(ダブル出向はできないので、契約書上は業務委託でしたが)、国内事業を立ち上げるという経験もしました。

こうした過去の「本業」をお客様ごとのニーズに合わせてブレンドし、不足するスキルはパートナーと組んでサービスを提供しているのが、現在の私の仕事であり、アクティブビジョンという会社の業務です。

この先も、次の「副業」をテストし、いけそうであれば「本業」として積み上げて、さらに提供できるサービスの幅を広げていきたいと思っています。今後は年齢のこともあるので、「1万時間の法則」にかかる年数を10年くらいの長めのスパンで考え、70代ないし80代くらいまで働くとして、あと2つか3つの「本業」が積み上がるなら理想的だな、と思っています。

ただ、加齢の影響を織り込んで、今後はストック型で労働集約的ではない「本業」も考えていかないといけないな、と思うと同時に、健康維持の目的も加味して「肉体労働的」な「本業」も取り混ぜていけるといいのかな(それが、ひょっとして以前から構想としては温めているワイン(ぶどう)作りだったりするのかな?)、なんていうことも考えています。

最後はちょっと個人的な話になってしまいましたが、「副業」について、こんな視点で捉えてみたら、コンビニのレジ打ちだって違う見え方がするのでは、と思うのでした。いつどんな立地の店でどんなお客様が何を買っていくか、をリアルに知ることができる、という意味で、実はマーケティング調査になってしまう、それも(少ないとはいえ)お金をもらいながらできるわけですから。

それを、ご自身のキャリアの中でどう活かすか、と考えたら、ちょっと面白くないですか?というのが、最近の一連の「副業解禁」の動きを見ていて、思うことです。

 

 

自分は、誰に何を買って頂いているのか

サラリーマンの時には当たり前に、ある意味では強制的に目の前に差し出されて来た「仕事」。それは好むと好まざるとにかかわらず存在したわけですが、独立すると、目の前に「仕事」がないことが当たり前になります。

そういう中で、「仕事をとる」とか「営業する」って、なんなのだろう、と改めて考えるようになりました。

そんなことを考えている中で出会った、このブログ。

”あえて聞きたいです。あなたは誰に何を売ってますか?”

これは、ものすごく本質的な問いで、自分も、まだ自分がどんな仕事をしていると説明するのか、明確に定義できていなくてモヤモヤとしている状態が続いているので、いい機会なので、ちょっと時間を使って改めて考えてみました。

 

・自分は「何を」売っているのか

自分のやっていることを抽象的ないし最大公約数的に言えば、既存企業(大企業)とスタートアップを問わず、事業を作って(あるいは作り直して)、それをビジネスの軌道に乗せる、そのお手伝いを一緒に汗かいて走っていくスタイルでやっている毎日、と言えると思います。買って頂いているのは、その「お手伝いという行為」ということ。

その意味では、(一般的には)一緒に走ることはない戦略コンサルさんとは、ちょっと違うものを買って頂いているはず、と思っています。まだ会社が出来て1年半も経ちませんが、現時点で1年以上(有償の)契約を続けて頂いている顧客企業が4社あり、いずれも終了期限が決まっていない、というのが、端的にその違いを物語っているのではないか、と。

具体的なお手伝いの内容は本当に様々で、資料を作るだけ、話をするだけ、ということもあれば、顧客に代わって交渉をすることもあるし、それに付随して、顧客の意思決定者が、意思決定自体やその準備の時間を作り出すために雑用的なことを肩代わりすることもあり、同じ顧客の中でもこうした様々なお手伝いを組み合わせながら提供しています。

その本質を突き詰めると、結局は、自分の過去の経験とか、それによって養われた勘(直感)を買って頂いてる、ということかもしれないな、と。資料作成にせよ、レクチャーにせよ、交渉にせよ、アウトプットの形式は違っても、その中身は自分の中に蓄積されてきたものからしか出せないし、そこから出しているんだという実感があります。雑用の肩代わりでさえ、やっていること自体は誰にでも出来ることだとしても、どのタミングで何を肩代わりすべきなのか、という判断とか勘(直感)は、やはり自分の過去の蓄積の中からしか出てこない。

そうであれば、過去の蓄積、という時の「過去」の幅や質が問題になるのだな、と、これを書きながら気がつきました。本当に古びた過去しかなければ、それに基づくお手伝いも、時代遅れで、ニーズにマッチしないものになってしまうことになります。一方で、「過去」が新しい過去しかなければ、これもまた深みがない。若い人にとっては自分も経験している過去でしかないし、年配の人からすれば頼りない駆け出しのもの、となってしまう。もちろん、過去の新旧を問わず、「質」も大事な要素。誰でもが経験している「過去」だけでは、わざわざ仕事として依頼して頂く意味がない。

もはや、「古い過去」を付け足したりその質を高めることは、時計の針が逆戻りしない限りは不可能なので、自分にこれから出来ることは「古い過去」に「良質」な「新しい過去」を付け足していくこと。それはつまり、良質なインプット・経験を欠かさない、ということなのではないか、と。ぼんやりと思っていて、感覚的に強化し始めていたインプットの重要性とは、つまりそういうことなんだ、というのは、ちょっと自分を正当化し過ぎでしょうか。

 

・自分は「誰に」売っている(買って頂いている)のか

 

会社を始めるにあたって、あまりよく考えずに「顧客を得るためには自社サイトくらいは作らないと」と思っていたのですが、それは考えが浅かった、ということに、ほどなく気がつきました。

私の場合、あまり多くはない単発の仕事を除けば、顧客は全て、自分が何らかの形で過去に一定以上の深さでおつきあいを頂いた方か、あるいはそういう方からのご紹介です。「Webでみました」といった形で新規の顧客が生まれることがない(少なくても現時点では)。

これは、「何を」の話を考えれば当たり前ですが、経験や勘に基づくアウトプットが主力商品である以上、目に見えるものではないですし、また、顧客の評判(口コミ)が広範囲に生じるかといえば、新規事業開発という秘匿性の高い案件で、しかも息の長い取り組みであるため、その数は非常に限定的で、起業から数年というレベルでは、まだ対外的にオープンに出来る成果も限られるので、なおさら限定されます。そして、上記のような「お手伝い」は、一定の信頼関係がベースにないと、なかなか難しい。

今後、少し時間が経って、自分のお手伝いした案件が一般的にオープンになるような成果が出てくれば、多少はつながりの薄い方からお仕事を頂いたり、あるいはベースとなる信頼関係を作るためのファーストステップとなるような顧客との関わり方を模索していく必要もあるんだろうと思いますが、最終的には、このビジネスモデルをやり続ける限り、一定レベルの信頼関係が持てている方に、というのが「誰に」に対する現時点の回答なのだろうと思います。

そんなわけで、自社サイトは、すでに自分と繋がりがある方に向けて、近況報告をしながら、つながりを維持していくためのもの、何かあった時に「そういえば川端がいるよな、アクティブビジョンとかいう会社やってたっけ」と思い出してもらうためのもので、その意味では、バリバリにSEO対策をして検索サイトで上位表示を狙う、といったことではないんじゃないか、と。

そうであれば、つながりを増やし、信頼関係を結べる人の数を増やしていくことが、自分にとっての「営業」ということになるのでしょうが、「社交性」が低い、というか「親密性」が相対的に高いというストレングスファインダーの結果を見ても、じっくりと少しづつ信頼関係を作っていくしかないし、それが性に合っている気がします。

自社サイトでは、ブログをちゃんと書いて、近況の報告をしていくこと。それが大事と思いながら、なかなか頻繁には書けていないのですが、少なくても昨年の下半期のように、数カ月にわたって何も書いていない、という状態は避けなければ、と思っています。大学時代の恩師から頂いた年賀状に「最近ブログ更新してないね」とコメントを頂いて、見ていて下さったことを知って嬉しかったとともに、非常に反省しました。

 

最後になりましたが、あなたは誰に何を買って頂いていますか?

 

新しい「余生」の意味

働き方改革や、その一環としての副業の解禁、そして少子高齢化の中での定年延長などの動きを受けて、中高年の働き方とか、定年後の過ごし方に関する本や記事を目にすることが、このところ格段に増えたと感じます。

自分の場合、50歳前後で「繰り上げ定年」をして仕事に一区切りつける、と30台の半ばで決めていて、図らずもちょうど50歳で会社を辞めることになり、辞めたと思ったらこうしたブームというか流れがくるというのも不思議な感じがしてしまうのですが、「繰り上げ定年」をするといっても、そこでいわゆるアーリーリタイアメントをする、という発想ではありませんでした。

なにより、アーリーリタイアメントできるほどの老後資金が稼げていない、というのが大きいのですが(人生100年時代となり、「老後」が長引くのであればなおさらです)、自分は「仕事」が嫌いではないし、仕事を続けたいという気持ちも同じように大きくありました。ただ、その当時はまだ、一つの会社にずっと勤めることが一般的でしたし、副業も禁止されているのが当たり前でしたので、今の本業とは違う仕事をどこかの組織で始めて、50歳から20 年くらいをかけてもう一つの本業をやって、そこで引退かな、というくらいの意識でした。

実際に50歳を迎えてみると、時代も変わって、例えば会社法の規定の緩和で個人が会社を作って起業することも格段にハードルが下がりましたし、そういう動きをサポートするサービスも生まれ、必ずしも既存の組織に属さなくても仕事を続けられる条件が整ってきています。この流れはここ数年でさらに加速していると思います。

むしろ、追いついていないのは私たちの意識の方で、転職したり起業したりすることの可能性とリスクを、自分が社会人になった当時の状況をベースに考えていて、現実に即した判断ができていない、というケースが多いのではないでしょうか。

自分の場合は、海外での仕事を通じて現地のカウンターパートの人たちとのおつきあいをプライベートなレベルに深められたことや、出向を通じて異なる会社で働きそこでスタートアップ企業と仕事をする機会に恵まれたことなどがあって、仕事を通じて現実の世の中の動きを知ることができたことは大きな幸運でした。

「繰り上げ定年」後の「余生」は、かつての余生の意味とは大きく違って、言ってみれば「社会人としての再スタート」です。若さで劣っている分を、時間やこれまでの経験で補いながら、2回目のテイクオフを果たすこと。それが、現代的な意味での「余生」かな、と思いますし、もう少し時代が進むと、それが3回4回ということも珍しくなくなって(現代でもシリアルアントレプレナーはそういう人たちだと思います)、「余生」という言葉も消えていくのかもしれないし、あるいは90歳以降の人生のことを指す言葉になるのかもしれないな、と。

大学時代の恩師は、若くして気候学の分野で大きな学術的業績を残した人で、専門外であるにもかかわらずマイナー言語の辞書を作ったりなど多才(かつ多彩)な活躍をされた方でしたが、その大きな業績を残したあとに「あとは余生を送るだけです。」とおっしゃられた、という逸話がずっと頭に残っています。自分が耳にしたわけではないので詳しくはわかりませんが、40歳の頃には「余生」を送る生活に入られた、ということになるのではないでしょうか。実際に指導していただいたのは、もう先生が定年に近い頃でしたので、この言葉が発せられたのは当時としても古い話なのだと思います。

恩師が若くして送り始めた「余生」を、先生よりもずっと遅い年齢から、しかも大きな業績を残したわけでもないながら自分も送り始めた中で、「あとは余生を送るだけです。」という言葉が、再び頭の中で響いています。

人とお金の余剰(余裕)が生み出す価値

このところ、評価の高いホテルやレストラン等に行ってつくづく感じるのは、「サービス」とは人とお金の余裕ないし余剰が生み出す価値である、ということです。

至極当たり前のことなのですが、人手不足で働き手が見つからないことと、一見景気が良いように見えて、「安いことに価値がある」という発想に染まってコスト削減にばかり目がいっているのが日本全体の傾向で、当たり前のことが当たり前になっていない、という印象が拭えません。

確かに、国内経済はインバウンド景気で潤っている一面はありますが、それは日本のかつての「サービス」レベルが維持されていることによるものとは限らず、劣化しつつも諸外国よりはまだ平均的にはマシであることで、訪日客の皆さんがお金を払っているにすぎないのではないか、という懸念があります。そうであるなら、いずれはこの劣化しつつある日本のサービスを海外の「サービス」が上回る日が来るでしょうし、それはさほど遠くない将来と考えるべきではないか、と思うのです。

実際に、アジアの国でもちゃんと人とお金をかけている「サービス」の品質は、ホテルやレストランの客室や料理といったモノやハードのレベルと相まって確実に高まってきていて、それに見合ったお金を払うだけの価値があるものになってきているというのが偽らざる実感です。そして、中国に顕著に表れているように、「サービス」を高めたり、少なくても悪いことをしないことが自分の「クレジット・信用」そして給与にダイレクトに反映される社会になってきている流れが、(中国に限らず)レベルアップを加速しているのだと感じます。

一方で、日本の国内を見ると、冒頭に書いた通りこうした流れとは逆の方向に行っているのではないか、という懸念があります。知名度の高い国際ブランドを冠したある都内のホテルのレストランは、かつては料理が好きでよく行っていたのですが、しばらく前からフロアに人が足りておらず必要な時にスタッフの方を呼ぶことができにくくなって、シェフの交代や懇意にしていたスタッフの離職という要因もありますが、足が遠のいてしまいました。また、やはり高級とされる有名ブランドを冠した別の東京のホテルに宿泊したがガッカリだった、という日本人の知人の話を聞いたりもしています。

ここでいう「サービス」は、日本語での”サービス”ではなく、ちゃんと対価が発生するもののことで、決してタダではない、金銭で測れる価値があるもののこと。その価値に応じて値付けに反映されている、つまりは高く売られ、そして高く買われているものです。

そこでは、むしろ「サービス」の価値を高めたことに応じて価格も高めていき、それが働く人の収入も高めていく、という循環が感じられます。一方で、日本では、「やりがい搾取」などとも言われる働き手の「サービス」へのタダ乗りが横行し、適正な価格設定ができないままに、全体のレベルが低下してしまっているのではないか、という懸念があります。

また、こうした視点が、今の「働き方改革」と称する一連の流れには欠けているように感じられます。副業解禁も、本来払うべき給与を払えないから副業で補ってくれ、というメッセージとも受け取れなくない気がします。(念のために申し添えると、私は副業解禁自体は悪くないと思っています)。

本当にコストの削減=価格の据え置きないし低減が、働き手はもちろん、顧客にとってプラスになっているのか、いわば「日本の常識」を疑うところから始めた方が良いのではないかと、毎日補充されたり古いものが置き換えられていつまでたっても「ウェルカム」が継続する、アジアのあるホテルの「ウェルカムフルーツ」を眺めながら考えてしまいました。

 

 

学歴と、報酬と。

4月も終わりに近づいて、ぎこちなくいつもの風景に割り込んできていた新入社員のういういしい姿も、徐々にいつもの日常に馴染んで溶けていっているなぁ、と思う頃になりました。

新入社員のうち、ないし、新卒での就職活動には、人物の選考とか評価判断に学歴というものが大きな比重を占めていて、それはまだ社会人としての実績がなく、他にこれといった汎用の判断基準がないため致し方ない部分もある、とは思います。

ただ、これが社会人になって10年20年と仕事をしてきた人でも学歴に縛られるのだなぁ、という事例を、ここしばらくの間でいくつか見聞きしました。こういう人の場合、第一義的に業績や成果を含めた職歴で評価されるのが妥当だと思いますが、実際にはなかなかそうでもない。

一定以上の仕事上の業績があると周囲が認めるような人であっても、転職もさることながら、学び直そうとして大学院に行こうにも、四大卒の学歴がないばかりに事実上の門前払いを食らう、というのは、自分の周囲でも散見される事実。

そして、サラリーマンであれば会社の規則上、最終学歴によって報酬(給与)の差がついてしまうように定められている場合が多いですが、組織に属さない自営業であっても、学歴がないが故に正当と思う報酬額を設定できないケースがある、というのを改めて知りました。十分な業界経験と実績があるにも関わらず、学歴が低いことが心理的な負い目となって、正当と思える報酬額を提示・設定することに躊躇してしまう、ということのようです。また、実際に、学歴で文字通り「値踏み」をし、支払う報酬額以上の業務の成果を求める、つまりは安く使おうとする人もいるようです。

もちろん、大学に行っている期間は働かずに授業料を払って学んでいる分、卒業後にその投資を回収できる報酬が得られることは理にかなっている部分はあると思いますが、実績がありながら学歴のなさが心理的な負い目になって、正当な報酬を設定できないのは悲しい現実だなぁ、と。

学歴で人を見る、というのは、必ずしも日本に限ったことではない事態。一方で、若いうちに学歴の全てを積み、その後は働くだけ、というのは、これはかなり日本に特有の事態。平均の大学の進学年齢が日本ほど若い国も珍しい、というデータをどこかで見かけました。

そうであれば、どこかのタイミングで、例えばそれが仮に60を過ぎてからであったとしても学び直しの機会を得て、学歴に関する負い目を解消し、自信を持って正当と思う報酬を設定できるようにするということは、とても理にかなった時間とお金の投資ではないか、と。

少子化で高校から進学してくる学生が減っていく分、こうした社会人の学び直しで学歴を補充する機会を広げることに、大学が取り組んでくれるといいなと思いますし、自分も、タイミングをみて、大学あるいは大学院での学び直しの機会があれば、と、中期的な将来計画の一つには入れているところです。

大企業の新規事業・スタートアップ連携成功の最重要ポイント

昨日はKDDIの高橋社長が就任後初めてのプレスカンファレンスを行ない、その報道やSNSへのジャーナリストさんの書き込みなどを追っていました。

色々なテーマに関して新たな発表もありましたが、中でも、総額200億円でKDDI オープンイノベーション3号ファンドをスタートさせることについて、興味深く拝見していました。

KDDIがオープンイノベーションファンドを発表したのが2012年。その前年にはKDDI∞Labo(ムゲンラボ)がスタートしています。実に7年もの間、継続的に、ファンドからの投資や、インキュベーション・アクセラレーションプロブラムの実施によって、スタートアップ企業と関わり続けています。

そういう継続的な取り組みが下地にあることで、ソラコムなどの資本提携も実現し、そのソラコムが3号ファンドではIoT分野の投資先ソーシングや事業シナジーの設計などを担当すると読みとれるスライドをSNSでみました。

∞Laboの初回の挨拶に登壇した当時の田中社長もそうですし、また現社長の高橋さんも、一貫してスタートアップ企業への前向きな取り組みスタンスがぶれていないこと、これが、KDDIがスタートアップ企業との取り組みに意欲的な企業のナンバーワンという調査結果につながっており、実際に様々な成果が生まれつつあることの最重要ポイントである、と感じています。

もちろん、社内の担当者がハッパをかけられている(であろう)こともわかりますし、平坦な道のりではないことは想像に難くありません。こうした担当者の努力もなければここまで続いていないと思います。

一方で、担当者の意欲は高いのに、トップの方針変更で、実を結ぶことなく終わってしまう大企業のベンチャーとの取り組みも、決して少なくないように思います。ずいぶん前ですが、各企業のインキュベーション・アクセラレーションプロブラムの継続回数を調べてみたら、回数にして2-3回、年数にして2年前後で終了してしまっているものが大半でした。こうしたプロジェクトに積極的に関わっていた担当者の無力感や失望を考えると、とても辛いものがあります。

これは、スタートアップ企業との連携にとどまらず、新規事業開発でも似たような現象が起きているように感じます。

ある大きな企業の依頼で、成功する新規事業・スタートアップ連携の要因について講演をさせていただいたことがあるのですが、色々な要因はあるものの、何よりトップの積極的な姿勢がぶれないこと、それが最重要のポイントであると申し上げたのですが、改めてその通りだと思います。

自分が少し関わらせていただいたので贔屓目も多分にあるのかもしれませんが、離れてある程度客観的に見ている(はず)の今でも、これはなかなか得難い状況だな、と思いつつ、高橋新社長の下で働いてみたかったな、と、独立してしまったことを少し残念に思いながら会見の記事をよみました。

開業1周年を過ぎて(昨今思うこと考えていることなど)

ずっと更新しないままになっていたブログですが、年度末のバタバタとした状態に追われて、3月13日の開業1周年にも何も書かずじまいになってしまいました。読まれていないようでいて、実は案外見てくださっているものだ、というのがわかって来まして、大変申し訳ないと思っています。

自社はともかく、お客様で3月が年度末、という会社が圧倒的に多いので、やはりその関係で3月はとても気ぜわしく、忙しい1ヶ月でした。自社の決算月を3月にしなくてよかった、と改めて思います。

そんなわけで、自社の第1期は昨年10月に終え、2期目に突入しているのですが、おかげさまで、なんとか会社として回っていくようにはなって来たかな、という状況で1周年を迎えることができました。

思うところは色々とあって、また一つひとつのテーマには書いていきたいことがあるのですが、箇条書き的にこの1年をふりかえって思うところを列挙しておきたいと思います。


・「営業」はとても大事だが、一般に言われる「営業」らしいことはしなかった1年。過去に自分がやって来たことが、結局今の「営業」として機能している、と感じる。その裏返しとして、世間で言われ思われている「営業」の狭さ・意味合いの低さ・軽さをとても残念に思う。

・過去の自分がやったことが「営業」になっているということは、今やっていることが未来への「営業」。なので、今の仕事、いまやっていることに真摯に向き合って行かないと、自分と自社の未来はない。

・組織を離れて(会社勤めを辞めて)、かえって組織のことがわかって来た、感じられるようになって来た、という気がする。そういう視点で見ると、自分がサラリーマンとしてダメだったところを痛感する。一方、ダメだったからこそ、今独立して仕事ができているという一面もあるように思うので、難しいところ。いずれにしても、サラリーマン時代にお世話になった皆さんへの感謝の気持ちは、独立して一層強くなった。

・かつて所属した組織からも仕事を頂く幸運に恵まれた。その理由を考えると、その組織に、自分がやっている機能を持ち合わせている人がいないか少ないか。それは、裏返せば、その組織としてマイナーで、必ずしも歓迎されない仕事を自分がやっていたのだ、ということ。それを許してもらっていたということで、これもとても有難いこと。一方で、ある組織でメジャーな仕事をしていて独立した人は、元の所属組織とかぶる仕事になるので、古巣から仕事をもらうことは難しいし、場合によっては競合とみなされる難しさを抱えている、ということにも気がついた。

・Strength FinderやMBTIなどで、客観的な自己像を理解するように努めた1年。とくに前者の「親密性」と「社交性」の違い、自分は「親密性」はそこそこ強いが「社交性」は弱い、ということは、とても大きな示唆だった。多分、直接の上司とは「親密性」の関係をとり結ぶことができ、守っていただいたケースがとても多かった反面、「社交性」は低いので、一般には理解されにくい、というサラリーマンだったのだろうと思うし、「親密性」のおかげで、深くお付き合いをさせていただいたお取引先の方々とは、受発注の関係を超えて、長いお付き合いを頂けているのだろう、と。

・これも結果論ながら、大企業とスタートアップ企業の双方を対象にビジネスを設定したことは、想像以上にプラスを産んでいる、産みはじめている、と感じる。それは、懇意にしているスタートアップ企業は自分の居場所を提供してくれていて、それが自分の精神面で大きなプラスをもたらしてくれているということや、規模や業種の多様性があるお取引先の仕事をさせてもらうことで、当然ながら守秘義務は守った上ででも、様々な相乗効果をもたらすことができる、ということ、その大きさを感じることができた1年。

・独立してもサラリーマンであっても、おそらく抱えるストレスの量は本質的には変わらない。ただ、その(性)質・種類はまったく逆といってよく、どちらのタイプのストレスに対する耐性が強いかで、独立への向き不向きが決まる(少なくてもその大きな要素である)。

・ストレスとも関連して、メンタルのマネジメントはとても大切。ひとりないし少人数で仕事をしていく上で、家族以外に、(仕事上の)雑談・世間話ができるような場、そういう気心知れた人たち、気のおけない仲間があるかどうか。自分の場合、それを、シェアオフィスへの入居、スタートアップ企業のオフィスでの定期的な仕事、前職時代からの顔見知りとのチームでのプロジェクト、といったものに支えられて来た、ということに改めて気づく。

・サラリーマン時代には、自分の興味関心やスキルがあったとしても、組織の制約でやることが出来なかった仕事があり、また、それゆえに声をかけてもらえなかった仕事もあった(のだろう)ということを実感。

・一人とか小さい単位で仕事をしている人たち・仲間たちと、それぞれの得意分野を生かす形で仕事をネットワークするようにして、同じ組織ではなくても、機能的には一つの組織と同じように成果を出せたらいいと思うし、装置産業では難しいけれど、サービス産業ならそれは十分実現性があるように感じている。

・世間一般の「働き方改革」の議論はとっても矮小化されていて、AI・ロボット時代に人間はどう働くかという視点や、そもそも時間で測られるべきではない仕事まで「長時間」労働が問題視される(一方、成果を出せば規定の就業時間より労働時間は短くてもいいよね、という議論は出ない)、など、これで大丈夫なのかな、という不安は大きい。


・・・などなど、とりとめもなくなってしまいましたが、そんなことを日々感じ、考えながら過ごしております。

このブログも、できるだけ更新をして、皆様に近況のご報告をしていきたいというのが、2018年度の目標。昨年から始めた中国語の勉強も、そろそろ具体的な目標を定めてブーストしていかないと、と思っています。

これからも引き続き、アクティブビジョンをどうぞよろしくお願いいたします。

AIとお弟子さんを採用する時代が来るのかな、という話

少しづつ頂く仕事が増えるにつれて、そのうち弊社もだれかをメンバーとして迎える、ありていに言えば人材採用して雇用することを考えるときが来るのだろうか、なんていうことを、ふと思いました。

会社を作ったのは、個人だと受けられる仕事に制約があるということで、ビジネスチャンスを狭めないためでした。実態は個人事業主と変わらないのが現状ですが、会社を作る過程で「将来どのようにビジネスを大きくし、雇用を生むのか」という問いかけを頂くことも何度かあって、会社のメンバーを増やすということが気になっていたのは事実。

一方で、すでに様々なアウトソーシングサービスがあり、遠からずロボットないしAI(のうちでも「浅いAI」)がそれをこなす分野も出てくることになるのだろうと思うと、「猫の手を借りる」タイプの人材雇用はすでに必要がなくなってきているし、将来はなおさらそうなのだろうと思います。いわゆる「しくみ化」のできる仕事は、そのしくみをロボットやAIにインプットすることが容易だということでもあり、早晩、人間のやることではなくなるだろうし、人間がロボットやAIと並んで同じ仕事をすることは、悲劇しか生まないと思っています。

チャップリンの映画「モダンタイムス」では、機械と並んで同じ仕事をし、歯車に巻き込まれる人間をコミカルに描いていましたが、実際には、機械のパフォーマンスに劣る人間が機械と同じ仕事をすることは苦痛なだけでなく危険なことであり、報われないことだし、人としての尊厳を失いかねない。

かつての産業革命で機械が肉体労働を代替したように、第4次といわれる現在の産業革命では、知能を持った機械、つまりロボットやAIが、一定の判断まで含めた人間の頭脳労働の一部を代替するだろうというのが一般的な予測ですし、そこで知能をもった機械にパフォーマンスで劣ることになる人間が従来の仕事にしがみついていても、幸せなことはないだろう、と思います。

となると、自社にメンバーとして迎える人材とは、自分(自社)の仕事のコアなところをどう分担するか、あるいは自分(自社)のコアコンピタンスとシナジーのある別なコアコンピタンスを持つ人をパートナーとしてどう迎えるか、ということになるのかな、と。

別な言い方をすると「新卒一括採用」的なやり方では、立ちいかなくなるように思います。もともと規模が小さい企業であれば「一括」というほどのまとまった人数を採用できないですし、一方、大企業であれば人力に頼るべきでないところは今後どんどん知能をもった機械が採用されていき、その分、生身の人間の採用は相対的には減るのかもしれません。

むしろ、ちょっと先祖帰りをして、かつての徒弟制度でお弟子さんをとったり、あるいは丁稚奉公の丁稚・小僧さんをとったりしたことに近い人材採用が再発見されるんだろうか、とも思います。

私の祖父は文楽の三味線弾きでしたので、徒弟制度の中に生きた人だったわけですが(とはいえ私が小学生のうちに亡くなったので、詳しいことはあまりよく知りません)、自分もまた、新たな形の「お弟子さん」を探し、育てて、仕事仲間を増やしていくことになるのだろうか、それが自分の会社にメンバーを迎えるということの具体的な姿なんだろうか、と。

もちろん、これは自社のコアの価値自体が、知能をもった機械では(少なくても当面の間)代替できないものであるかどうか、つまりは自社のビジネス自体の賞味期限というところがまず検証されなければいけないのですが。

そして、それが仮にOKであったとしても、メンバーを迎える=人を雇う=お弟子さんをとるだけの基礎的な企業体力をつけないことには絵空事でしかなく、まずは、自分(と家族)が食べていくことに十分といえるだけのビジネスにすることが先決であり、目先の課題ではあるのですが。

資質診断(ストレングス・ファインダー)を受けてみた

ストレングス・ファインダーという、アメリカのギャラップ社が作った資質の診断があります。これは200万人におよぶインタビュー調査をもとに作られた個人の資質の診断で、34の資質(強みとなりうるもの)を明らかにしてくれるというもの。オンラインで簡単に受けることが出来、上位5つの資質だけを知ることが出来る簡易なものと、34の資質のすべてについて自分がその資質を持っている度合いを順位付けしてくれるものとがあります。統計的なファクトに基づくもので、上位5つの資質だけでも(順位を問わず)同じになる確率が0.007%以下、1万人に1人未満という多様性がある点でも、ある程度信用できるものかな、と思っています。

もともと数年前に旧版の本を買い、付属しているアクセスコードでオンライン診断をして、上位5つの資質については自分の診断結果を見ていて、「まぁ、そんなもんかな」というくらいでそのままになっていたのですが、たまたま、シェアオフィスの知人が新版の本を持っていて、会話をしたことがきっかけで、改めて上位の資質を活かすことを見直してみたのでした。今回は、追加で費用を払って34のすべての自分の資質の順位付けを知りました。

 

私の上位5つの資質は、

「着想」:新しいアイデアを考えるのが大好き。全く異なる現象に見えるものの間に、関連性を見出すことができる。

「適応性」:流れに沿って進み、今を大切にし、それぞれの時点で進む方向をひとつずつ選択することにより、将来を見極める。

「達成欲」:並外れたスタミナがあり、旺盛に仕事に取り組む。自分が多忙で 生産的であることに大きな満足感を得る。

「最上志向」:平均的ではなく最高の水準を個人ないし集団 において追求。単なる強みを最高レベルのものに変えようとする。

「戦略性」:目的に向かうための選択肢を想定でき、いかなる想定 に直面しても適切なパターンと問題点を直ちに予測できる。

ということだそうです。

受けた当時はまだ独立前だったので、自分の資質をどう生かしていくか、ということを今ほどは気にしていなかった、ということもあったと思います。

 

今回、自分の34すべての資質のランキングを見ると、最下位は「競争性」。これには深く納得で、思わず笑ってしまいました。同じ土俵で他人と競争をするくらいなら自分で勝手に土俵を作ってそこでトップになる、ということはかなり若い時から思っていたことなので(大学生くらいの頃からだと思います)、さもありなん、という感じがします。

6位以下の資質を見てみると、詳細は省きますが、上位15くらいまでの資質は、何らかの形で仕事などに活かせているかな、と思うのものが多く含まれましたが、一方で、比較的上位にありながら、自分としてはそういう資質があると感じたり、活かせたりしていないものもいくつか。そのなかには「コミュニケーション」の資質が含まれていて、改めて、自分の考えたことを言葉にすること、とりわけ文字にすることをちゃんとやろう、と思いなおしました。ブログを書き続けることも、その一環として、ちゃんとやらなければ、と。

この「コミュニケーション」の資質とも関連するのと思うのですが、私の場合「親密性」が14位であるのに対して「社交性」は22位。一部の人との深いお付き合いはある一方、パーティーなどで見知らぬ人と次々と、というコミュニケーションは苦手なので、そのあたりも納得のいく結果が出ているな、と思います。

実際、独立してからの仕事も、過去にご一緒に仕事をさせて頂くなどして、よく私を知って下さっている方からお声をかけて頂くことがきっかけになっています。弱点を補強するのではなく強みを伸ばすべし、という、このストレングス・ファインダーの趣旨からすれば、私の場合は、知り合いを増やして仕事のチャンスを広げるということではなく、件数は少なくても着実に仕事をこなし、ご一緒した方からの信頼を得ていくことで次の仕事のチャンスを広げていくことが大切なのかもしれません。

総じて、自分の資質で上位に来ているものは、エネルギーを内側に使うものが多い、というのも、新たな気づきでした。「社交性」もそうですが、自分の外に向かってエネルギーを使う資質の順位が低いようです。

エネルギーを内側に向かって使いがちなので、ともすれば「よくわからない人」「とっつきにくい人」となる可能性もあるので、知り合った方がもし自分に興味を持って下さったときには、このブログを見て頂くことが、川端ってこういう奴なのか、と思って頂けるきかっけになるようにもしていかなければなあ、というのも、ブログをちゃんと書いていかなければ、と思った理由のひとつ。

自分だけでは診断結果を読みこなすのは難しかったので、ストレングス・ファインダーの診断結果をもとにしたコーチングのセッションを受けたのですが、これはとても有益でした。そのセッションの結果をもとに、自分なりに整理したのが、今回のブログエントリの内容になっています。セッション後には、改めて本や診断結果を読み直したり、資質相互の関係を考えてみたり。そういう内側に向けたエネルギーの使い方が、この診断によるところの自分らしさ、ということなのかもしれません。

自分だけで分析するには、上位5つだけの方がかえってシンプルで戸惑わないのかな、と思います。34の資質すべてのランク付けを出されても、どう消化していいか分からなくなったり、下位の資質がないことに目がいって「強みを生かす」という本来の趣旨から離れてしまう可能性もあります。そんなこともあって、書籍版では上位5つに絞られているのかもしれません。書籍で上位5つを診断した後、サイトから追加で残りを含めた34すべての資質の診断結果を買うこともでき、追加購入でも値段はほとんど変わらないので、まずはサイトまたは書籍に付属するアクセスコードを使った上位5つの診断から始めるのが良いのではないかと思います。

リンダグラットン著の「ライフシフト」では、これまでの単線・単一のキャリアではなく、複数・複線のキャリア形成が今後は必要になる、という指摘がありますが、では具体的に何を選べばいいのか、ということを考えるときには、こうした自分の資質と、その資質を磨いた強みを活かせる仕事をえらんでいく、ということが大切なんだろうと理解しています。

その点で、独立した人・する人に限らず、これからのキャリア形成を考えるうえで、ストレングス・ファインダーは一つの参考になるものだと思います。ご興味があれば、試してみてください。

 

オンラインの診断はこちら(ギャラップ社の日本語サイト)。

https://www.gallupstrengthscenter.com/Purchase/ja-JP/Index

 

書籍はこちら。

ライフシフト

メール/メッセージの ”セブン・イレブン” ルール

NHKラジオに「実践ビジネス英語」というラジオ講座があって、時々ブランクがありつつも聴き続けているのですが、先日この講座の英文のテーマとして、効率的に(生産性を高めて)メールを使う、というのがありました。

すでに、特にスタートアップ企業とのやりとりでは、普段のやり取りの主役はもっぱらメッセンジャーサービスで、改まった時だけ(たとえば、初めてのお取引先とのやりとりなどは)メール、といった感じです。言ってみれば、郵便を出すような感じでメールが使われている。従来型の企業で、一定以上の役職者の人事異動や組織変更の時に上質な紙に(縦書きで)ごあいさつ文を印刷し、筆耕した封筒でお出しする感覚にちょっと近いかもしれません。

その意味では、メールだけでなくメッセージのやり取りもそうですが、際限なくやるのではなく、少なくても相手がオフの時間には送らないようにし、自分もメールやメッセージの送受信にあてる時間を限定し集中させることで、プライベートをお互いに尊重し、生産性も高めよう、という動きがある、というのが主旨でした。

90年代半ばのビジネス現場でのメール導入初期には、まだ”上司たち”がメールを使っていなかった(使えていなかった)こともあり、その優越感も手伝ってメールを使える若手同士で昼夜を問わずやり取りをしていたのを思い出しますが、もはやそれも20年以上前のこと。

自分が年齢を重ねたこともありイレギュラーな時間帯や休日に(年長者が)送信することで相手に負担(特に心理的なもの)をかけるのもよくないし、独立したこともあって、ますます時間の有効活用が課題という認識もあり、自分としても、なるべくメールやメッセージのやり取りを平日のビジネスアワーに限定し始めています。できれば、メールチェックはデスクでは1日に3回くらいに集中して行い、あとは移動中にモバイルで、というくらいに出来れば理想と思ってはいるのですが。

とはいえ、書くのに時間がかかる内容もあるので、最近は深夜や休日に書いたものは下書きとして保存しておいて、平日の朝を迎えたところで送信、というのを心掛けつつあります。

折しも働き方改革とか生産性向上が叫ばれるご時世でもあり、メールやメッセージは、緊急対応などを除いて平日朝7時から夜はどんなに遅くても11時まで、この ”セブンイレブン” ルールを徐々にでも導入し、将来的には完全に守れるようにしたいと思っています。

ところで、このテーマもそうですが、アメリカのビジネス界の日常的な風景というか、ニュースにはならないような最新の”空気”が感じられる「実践ビジネス英語」の教材は、単に英語のスキルアップにとどまらず興味深い内容が含まれていたりしますので、ご興味があればテキストの和訳を読むだけでもおすすめです。