人とお金の余剰(余裕)が生み出す価値

このところ、評価の高いホテルやレストラン等に行ってつくづく感じるのは、「サービス」とは人とお金の余裕ないし余剰が生み出す価値である、ということです。

至極当たり前のことなのですが、人手不足で働き手が見つからないことと、一見景気が良いように見えて、「安いことに価値がある」という発想に染まってコスト削減にばかり目がいっているのが日本全体の傾向で、当たり前のことが当たり前になっていない、という印象が拭えません。

確かに、国内経済はインバウンド景気で潤っている一面はありますが、それは日本のかつての「サービス」レベルが維持されていることによるものとは限らず、劣化しつつも諸外国よりはまだ平均的にはマシであることで、訪日客の皆さんがお金を払っているにすぎないのではないか、という懸念があります。そうであるなら、いずれはこの劣化しつつある日本のサービスを海外の「サービス」が上回る日が来るでしょうし、それはさほど遠くない将来と考えるべきではないか、と思うのです。

実際に、アジアの国でもちゃんと人とお金をかけている「サービス」の品質は、ホテルやレストランの客室や料理といったモノやハードのレベルと相まって確実に高まってきていて、それに見合ったお金を払うだけの価値があるものになってきているというのが偽らざる実感です。そして、中国に顕著に表れているように、「サービス」を高めたり、少なくても悪いことをしないことが自分の「クレジット・信用」そして給与にダイレクトに反映される社会になってきている流れが、(中国に限らず)レベルアップを加速しているのだと感じます。

一方で、日本の国内を見ると、冒頭に書いた通りこうした流れとは逆の方向に行っているのではないか、という懸念があります。知名度の高い国際ブランドを冠したある都内のホテルのレストランは、かつては料理が好きでよく行っていたのですが、しばらく前からフロアに人が足りておらず必要な時にスタッフの方を呼ぶことができにくくなって、シェフの交代や懇意にしていたスタッフの離職という要因もありますが、足が遠のいてしまいました。また、やはり高級とされる有名ブランドを冠した別の東京のホテルに宿泊したがガッカリだった、という日本人の知人の話を聞いたりもしています。

ここでいう「サービス」は、日本語での”サービス”ではなく、ちゃんと対価が発生するもののことで、決してタダではない、金銭で測れる価値があるもののこと。その価値に応じて値付けに反映されている、つまりは高く売られ、そして高く買われているものです。

そこでは、むしろ「サービス」の価値を高めたことに応じて価格も高めていき、それが働く人の収入も高めていく、という循環が感じられます。一方で、日本では、「やりがい搾取」などとも言われる働き手の「サービス」へのタダ乗りが横行し、適正な価格設定ができないままに、全体のレベルが低下してしまっているのではないか、という懸念があります。

また、こうした視点が、今の「働き方改革」と称する一連の流れには欠けているように感じられます。副業解禁も、本来払うべき給与を払えないから副業で補ってくれ、というメッセージとも受け取れなくない気がします。(念のために申し添えると、私は副業解禁自体は悪くないと思っています)。

本当にコストの削減=価格の据え置きないし低減が、働き手はもちろん、顧客にとってプラスになっているのか、いわば「日本の常識」を疑うところから始めた方が良いのではないかと、毎日補充されたり古いものが置き換えられていつまでたっても「ウェルカム」が継続する、アジアのあるホテルの「ウェルカムフルーツ」を眺めながら考えてしまいました。

 

 

学歴と、報酬と。

4月も終わりに近づいて、ぎこちなくいつもの風景に割り込んできていた新入社員のういういしい姿も、徐々にいつもの日常に馴染んで溶けていっているなぁ、と思う頃になりました。

新入社員のうち、ないし、新卒での就職活動には、人物の選考とか評価判断に学歴というものが大きな比重を占めていて、それはまだ社会人としての実績がなく、他にこれといった汎用の判断基準がないため致し方ない部分もある、とは思います。

ただ、これが社会人になって10年20年と仕事をしてきた人でも学歴に縛られるのだなぁ、という事例を、ここしばらくの間でいくつか見聞きしました。こういう人の場合、第一義的に業績や成果を含めた職歴で評価されるのが妥当だと思いますが、実際にはなかなかそうでもない。

一定以上の仕事上の業績があると周囲が認めるような人であっても、転職もさることながら、学び直そうとして大学院に行こうにも、四大卒の学歴がないばかりに事実上の門前払いを食らう、というのは、自分の周囲でも散見される事実。

そして、サラリーマンであれば会社の規則上、最終学歴によって報酬(給与)の差がついてしまうように定められている場合が多いですが、組織に属さない自営業であっても、学歴がないが故に正当と思う報酬額を設定できないケースがある、というのを改めて知りました。十分な業界経験と実績があるにも関わらず、学歴が低いことが心理的な負い目となって、正当と思える報酬額を提示・設定することに躊躇してしまう、ということのようです。また、実際に、学歴で文字通り「値踏み」をし、支払う報酬額以上の業務の成果を求める、つまりは安く使おうとする人もいるようです。

もちろん、大学に行っている期間は働かずに授業料を払って学んでいる分、卒業後にその投資を回収できる報酬が得られることは理にかなっている部分はあると思いますが、実績がありながら学歴のなさが心理的な負い目になって、正当な報酬を設定できないのは悲しい現実だなぁ、と。

学歴で人を見る、というのは、必ずしも日本に限ったことではない事態。一方で、若いうちに学歴の全てを積み、その後は働くだけ、というのは、これはかなり日本に特有の事態。平均の大学の進学年齢が日本ほど若い国も珍しい、というデータをどこかで見かけました。

そうであれば、どこかのタイミングで、例えばそれが仮に60を過ぎてからであったとしても学び直しの機会を得て、学歴に関する負い目を解消し、自信を持って正当と思う報酬を設定できるようにするということは、とても理にかなった時間とお金の投資ではないか、と。

少子化で高校から進学してくる学生が減っていく分、こうした社会人の学び直しで学歴を補充する機会を広げることに、大学が取り組んでくれるといいなと思いますし、自分も、タイミングをみて、大学あるいは大学院での学び直しの機会があれば、と、中期的な将来計画の一つには入れているところです。

大企業の新規事業・スタートアップ連携成功の最重要ポイント

昨日はKDDIの高橋社長が就任後初めてのプレスカンファレンスを行ない、その報道やSNSへのジャーナリストさんの書き込みなどを追っていました。

色々なテーマに関して新たな発表もありましたが、中でも、総額200億円でKDDI オープンイノベーション3号ファンドをスタートさせることについて、興味深く拝見していました。

KDDIがオープンイノベーションファンドを発表したのが2012年。その前年にはKDDI∞Labo(ムゲンラボ)がスタートしています。実に7年もの間、継続的に、ファンドからの投資や、インキュベーション・アクセラレーションプロブラムの実施によって、スタートアップ企業と関わり続けています。

そういう継続的な取り組みが下地にあることで、ソラコムなどの資本提携も実現し、そのソラコムが3号ファンドではIoT分野の投資先ソーシングや事業シナジーの設計などを担当すると読みとれるスライドをSNSでみました。

∞Laboの初回の挨拶に登壇した当時の田中社長もそうですし、また現社長の高橋さんも、一貫してスタートアップ企業への前向きな取り組みスタンスがぶれていないこと、これが、KDDIがスタートアップ企業との取り組みに意欲的な企業のナンバーワンという調査結果につながっており、実際に様々な成果が生まれつつあることの最重要ポイントである、と感じています。

もちろん、社内の担当者がハッパをかけられている(であろう)こともわかりますし、平坦な道のりではないことは想像に難くありません。こうした担当者の努力もなければここまで続いていないと思います。

一方で、担当者の意欲は高いのに、トップの方針変更で、実を結ぶことなく終わってしまう大企業のベンチャーとの取り組みも、決して少なくないように思います。ずいぶん前ですが、各企業のインキュベーション・アクセラレーションプロブラムの継続回数を調べてみたら、回数にして2-3回、年数にして2年前後で終了してしまっているものが大半でした。こうしたプロジェクトに積極的に関わっていた担当者の無力感や失望を考えると、とても辛いものがあります。

これは、スタートアップ企業との連携にとどまらず、新規事業開発でも似たような現象が起きているように感じます。

ある大きな企業の依頼で、成功する新規事業・スタートアップ連携の要因について講演をさせていただいたことがあるのですが、色々な要因はあるものの、何よりトップの積極的な姿勢がぶれないこと、それが最重要のポイントであると申し上げたのですが、改めてその通りだと思います。

自分が少し関わらせていただいたので贔屓目も多分にあるのかもしれませんが、離れてある程度客観的に見ている(はず)の今でも、これはなかなか得難い状況だな、と思いつつ、高橋新社長の下で働いてみたかったな、と、独立してしまったことを少し残念に思いながら会見の記事をよみました。

開業1周年を過ぎて(昨今思うこと考えていることなど)

ずっと更新しないままになっていたブログですが、年度末のバタバタとした状態に追われて、3月13日の開業1周年にも何も書かずじまいになってしまいました。読まれていないようでいて、実は案外見てくださっているものだ、というのがわかって来まして、大変申し訳ないと思っています。

自社はともかく、お客様で3月が年度末、という会社が圧倒的に多いので、やはりその関係で3月はとても気ぜわしく、忙しい1ヶ月でした。自社の決算月を3月にしなくてよかった、と改めて思います。

そんなわけで、自社の第1期は昨年10月に終え、2期目に突入しているのですが、おかげさまで、なんとか会社として回っていくようにはなって来たかな、という状況で1周年を迎えることができました。

思うところは色々とあって、また一つひとつのテーマには書いていきたいことがあるのですが、箇条書き的にこの1年をふりかえって思うところを列挙しておきたいと思います。


・「営業」はとても大事だが、一般に言われる「営業」らしいことはしなかった1年。過去に自分がやって来たことが、結局今の「営業」として機能している、と感じる。その裏返しとして、世間で言われ思われている「営業」の狭さ・意味合いの低さ・軽さをとても残念に思う。

・過去の自分がやったことが「営業」になっているということは、今やっていることが未来への「営業」。なので、今の仕事、いまやっていることに真摯に向き合って行かないと、自分と自社の未来はない。

・組織を離れて(会社勤めを辞めて)、かえって組織のことがわかって来た、感じられるようになって来た、という気がする。そういう視点で見ると、自分がサラリーマンとしてダメだったところを痛感する。一方、ダメだったからこそ、今独立して仕事ができているという一面もあるように思うので、難しいところ。いずれにしても、サラリーマン時代にお世話になった皆さんへの感謝の気持ちは、独立して一層強くなった。

・かつて所属した組織からも仕事を頂く幸運に恵まれた。その理由を考えると、その組織に、自分がやっている機能を持ち合わせている人がいないか少ないか。それは、裏返せば、その組織としてマイナーで、必ずしも歓迎されない仕事を自分がやっていたのだ、ということ。それを許してもらっていたということで、これもとても有難いこと。一方で、ある組織でメジャーな仕事をしていて独立した人は、元の所属組織とかぶる仕事になるので、古巣から仕事をもらうことは難しいし、場合によっては競合とみなされる難しさを抱えている、ということにも気がついた。

・Strength FinderやMBTIなどで、客観的な自己像を理解するように努めた1年。とくに前者の「親密性」と「社交性」の違い、自分は「親密性」はそこそこ強いが「社交性」は弱い、ということは、とても大きな示唆だった。多分、直接の上司とは「親密性」の関係をとり結ぶことができ、守っていただいたケースがとても多かった反面、「社交性」は低いので、一般には理解されにくい、というサラリーマンだったのだろうと思うし、「親密性」のおかげで、深くお付き合いをさせていただいたお取引先の方々とは、受発注の関係を超えて、長いお付き合いを頂けているのだろう、と。

・これも結果論ながら、大企業とスタートアップ企業の双方を対象にビジネスを設定したことは、想像以上にプラスを産んでいる、産みはじめている、と感じる。それは、懇意にしているスタートアップ企業は自分の居場所を提供してくれていて、それが自分の精神面で大きなプラスをもたらしてくれているということや、規模や業種の多様性があるお取引先の仕事をさせてもらうことで、当然ながら守秘義務は守った上ででも、様々な相乗効果をもたらすことができる、ということ、その大きさを感じることができた1年。

・独立してもサラリーマンであっても、おそらく抱えるストレスの量は本質的には変わらない。ただ、その(性)質・種類はまったく逆といってよく、どちらのタイプのストレスに対する耐性が強いかで、独立への向き不向きが決まる(少なくてもその大きな要素である)。

・ストレスとも関連して、メンタルのマネジメントはとても大切。ひとりないし少人数で仕事をしていく上で、家族以外に、(仕事上の)雑談・世間話ができるような場、そういう気心知れた人たち、気のおけない仲間があるかどうか。自分の場合、それを、シェアオフィスへの入居、スタートアップ企業のオフィスでの定期的な仕事、前職時代からの顔見知りとのチームでのプロジェクト、といったものに支えられて来た、ということに改めて気づく。

・サラリーマン時代には、自分の興味関心やスキルがあったとしても、組織の制約でやることが出来なかった仕事があり、また、それゆえに声をかけてもらえなかった仕事もあった(のだろう)ということを実感。

・一人とか小さい単位で仕事をしている人たち・仲間たちと、それぞれの得意分野を生かす形で仕事をネットワークするようにして、同じ組織ではなくても、機能的には一つの組織と同じように成果を出せたらいいと思うし、装置産業では難しいけれど、サービス産業ならそれは十分実現性があるように感じている。

・世間一般の「働き方改革」の議論はとっても矮小化されていて、AI・ロボット時代に人間はどう働くかという視点や、そもそも時間で測られるべきではない仕事まで「長時間」労働が問題視される(一方、成果を出せば規定の就業時間より労働時間は短くてもいいよね、という議論は出ない)、など、これで大丈夫なのかな、という不安は大きい。


・・・などなど、とりとめもなくなってしまいましたが、そんなことを日々感じ、考えながら過ごしております。

このブログも、できるだけ更新をして、皆様に近況のご報告をしていきたいというのが、2018年度の目標。昨年から始めた中国語の勉強も、そろそろ具体的な目標を定めてブーストしていかないと、と思っています。

これからも引き続き、アクティブビジョンをどうぞよろしくお願いいたします。

AIとお弟子さんを採用する時代が来るのかな、という話

少しづつ頂く仕事が増えるにつれて、そのうち弊社もだれかをメンバーとして迎える、ありていに言えば人材採用して雇用することを考えるときが来るのだろうか、なんていうことを、ふと思いました。

会社を作ったのは、個人だと受けられる仕事に制約があるということで、ビジネスチャンスを狭めないためでした。実態は個人事業主と変わらないのが現状ですが、会社を作る過程で「将来どのようにビジネスを大きくし、雇用を生むのか」という問いかけを頂くことも何度かあって、会社のメンバーを増やすということが気になっていたのは事実。

一方で、すでに様々なアウトソーシングサービスがあり、遠からずロボットないしAI(のうちでも「浅いAI」)がそれをこなす分野も出てくることになるのだろうと思うと、「猫の手を借りる」タイプの人材雇用はすでに必要がなくなってきているし、将来はなおさらそうなのだろうと思います。いわゆる「しくみ化」のできる仕事は、そのしくみをロボットやAIにインプットすることが容易だということでもあり、早晩、人間のやることではなくなるだろうし、人間がロボットやAIと並んで同じ仕事をすることは、悲劇しか生まないと思っています。

チャップリンの映画「モダンタイムス」では、機械と並んで同じ仕事をし、歯車に巻き込まれる人間をコミカルに描いていましたが、実際には、機械のパフォーマンスに劣る人間が機械と同じ仕事をすることは苦痛なだけでなく危険なことであり、報われないことだし、人としての尊厳を失いかねない。

かつての産業革命で機械が肉体労働を代替したように、第4次といわれる現在の産業革命では、知能を持った機械、つまりロボットやAIが、一定の判断まで含めた人間の頭脳労働の一部を代替するだろうというのが一般的な予測ですし、そこで知能をもった機械にパフォーマンスで劣ることになる人間が従来の仕事にしがみついていても、幸せなことはないだろう、と思います。

となると、自社にメンバーとして迎える人材とは、自分(自社)の仕事のコアなところをどう分担するか、あるいは自分(自社)のコアコンピタンスとシナジーのある別なコアコンピタンスを持つ人をパートナーとしてどう迎えるか、ということになるのかな、と。

別な言い方をすると「新卒一括採用」的なやり方では、立ちいかなくなるように思います。もともと規模が小さい企業であれば「一括」というほどのまとまった人数を採用できないですし、一方、大企業であれば人力に頼るべきでないところは今後どんどん知能をもった機械が採用されていき、その分、生身の人間の採用は相対的には減るのかもしれません。

むしろ、ちょっと先祖帰りをして、かつての徒弟制度でお弟子さんをとったり、あるいは丁稚奉公の丁稚・小僧さんをとったりしたことに近い人材採用が再発見されるんだろうか、とも思います。

私の祖父は文楽の三味線弾きでしたので、徒弟制度の中に生きた人だったわけですが(とはいえ私が小学生のうちに亡くなったので、詳しいことはあまりよく知りません)、自分もまた、新たな形の「お弟子さん」を探し、育てて、仕事仲間を増やしていくことになるのだろうか、それが自分の会社にメンバーを迎えるということの具体的な姿なんだろうか、と。

もちろん、これは自社のコアの価値自体が、知能をもった機械では(少なくても当面の間)代替できないものであるかどうか、つまりは自社のビジネス自体の賞味期限というところがまず検証されなければいけないのですが。

そして、それが仮にOKであったとしても、メンバーを迎える=人を雇う=お弟子さんをとるだけの基礎的な企業体力をつけないことには絵空事でしかなく、まずは、自分(と家族)が食べていくことに十分といえるだけのビジネスにすることが先決であり、目先の課題ではあるのですが。

資質診断(ストレングス・ファインダー)を受けてみた

ストレングス・ファインダーという、アメリカのギャラップ社が作った資質の診断があります。これは200万人におよぶインタビュー調査をもとに作られた個人の資質の診断で、34の資質(強みとなりうるもの)を明らかにしてくれるというもの。オンラインで簡単に受けることが出来、上位5つの資質だけを知ることが出来る簡易なものと、34の資質のすべてについて自分がその資質を持っている度合いを順位付けしてくれるものとがあります。統計的なファクトに基づくもので、上位5つの資質だけでも(順位を問わず)同じになる確率が0.007%以下、1万人に1人未満という多様性がある点でも、ある程度信用できるものかな、と思っています。

もともと数年前に旧版の本を買い、付属しているアクセスコードでオンライン診断をして、上位5つの資質については自分の診断結果を見ていて、「まぁ、そんなもんかな」というくらいでそのままになっていたのですが、たまたま、シェアオフィスの知人が新版の本を持っていて、会話をしたことがきっかけで、改めて上位の資質を活かすことを見直してみたのでした。今回は、追加で費用を払って34のすべての自分の資質の順位付けを知りました。

 

私の上位5つの資質は、

「着想」:新しいアイデアを考えるのが大好き。全く異なる現象に見えるものの間に、関連性を見出すことができる。

「適応性」:流れに沿って進み、今を大切にし、それぞれの時点で進む方向をひとつずつ選択することにより、将来を見極める。

「達成欲」:並外れたスタミナがあり、旺盛に仕事に取り組む。自分が多忙で 生産的であることに大きな満足感を得る。

「最上志向」:平均的ではなく最高の水準を個人ないし集団 において追求。単なる強みを最高レベルのものに変えようとする。

「戦略性」:目的に向かうための選択肢を想定でき、いかなる想定 に直面しても適切なパターンと問題点を直ちに予測できる。

ということだそうです。

受けた当時はまだ独立前だったので、自分の資質をどう生かしていくか、ということを今ほどは気にしていなかった、ということもあったと思います。

 

今回、自分の34すべての資質のランキングを見ると、最下位は「競争性」。これには深く納得で、思わず笑ってしまいました。同じ土俵で他人と競争をするくらいなら自分で勝手に土俵を作ってそこでトップになる、ということはかなり若い時から思っていたことなので(大学生くらいの頃からだと思います)、さもありなん、という感じがします。

6位以下の資質を見てみると、詳細は省きますが、上位15くらいまでの資質は、何らかの形で仕事などに活かせているかな、と思うのものが多く含まれましたが、一方で、比較的上位にありながら、自分としてはそういう資質があると感じたり、活かせたりしていないものもいくつか。そのなかには「コミュニケーション」の資質が含まれていて、改めて、自分の考えたことを言葉にすること、とりわけ文字にすることをちゃんとやろう、と思いなおしました。ブログを書き続けることも、その一環として、ちゃんとやらなければ、と。

この「コミュニケーション」の資質とも関連するのと思うのですが、私の場合「親密性」が14位であるのに対して「社交性」は22位。一部の人との深いお付き合いはある一方、パーティーなどで見知らぬ人と次々と、というコミュニケーションは苦手なので、そのあたりも納得のいく結果が出ているな、と思います。

実際、独立してからの仕事も、過去にご一緒に仕事をさせて頂くなどして、よく私を知って下さっている方からお声をかけて頂くことがきっかけになっています。弱点を補強するのではなく強みを伸ばすべし、という、このストレングス・ファインダーの趣旨からすれば、私の場合は、知り合いを増やして仕事のチャンスを広げるということではなく、件数は少なくても着実に仕事をこなし、ご一緒した方からの信頼を得ていくことで次の仕事のチャンスを広げていくことが大切なのかもしれません。

総じて、自分の資質で上位に来ているものは、エネルギーを内側に使うものが多い、というのも、新たな気づきでした。「社交性」もそうですが、自分の外に向かってエネルギーを使う資質の順位が低いようです。

エネルギーを内側に向かって使いがちなので、ともすれば「よくわからない人」「とっつきにくい人」となる可能性もあるので、知り合った方がもし自分に興味を持って下さったときには、このブログを見て頂くことが、川端ってこういう奴なのか、と思って頂けるきかっけになるようにもしていかなければなあ、というのも、ブログをちゃんと書いていかなければ、と思った理由のひとつ。

自分だけでは診断結果を読みこなすのは難しかったので、ストレングス・ファインダーの診断結果をもとにしたコーチングのセッションを受けたのですが、これはとても有益でした。そのセッションの結果をもとに、自分なりに整理したのが、今回のブログエントリの内容になっています。セッション後には、改めて本や診断結果を読み直したり、資質相互の関係を考えてみたり。そういう内側に向けたエネルギーの使い方が、この診断によるところの自分らしさ、ということなのかもしれません。

自分だけで分析するには、上位5つだけの方がかえってシンプルで戸惑わないのかな、と思います。34の資質すべてのランク付けを出されても、どう消化していいか分からなくなったり、下位の資質がないことに目がいって「強みを生かす」という本来の趣旨から離れてしまう可能性もあります。そんなこともあって、書籍版では上位5つに絞られているのかもしれません。書籍で上位5つを診断した後、サイトから追加で残りを含めた34すべての資質の診断結果を買うこともでき、追加購入でも値段はほとんど変わらないので、まずはサイトまたは書籍に付属するアクセスコードを使った上位5つの診断から始めるのが良いのではないかと思います。

リンダグラットン著の「ライフシフト」では、これまでの単線・単一のキャリアではなく、複数・複線のキャリア形成が今後は必要になる、という指摘がありますが、では具体的に何を選べばいいのか、ということを考えるときには、こうした自分の資質と、その資質を磨いた強みを活かせる仕事をえらんでいく、ということが大切なんだろうと理解しています。

その点で、独立した人・する人に限らず、これからのキャリア形成を考えるうえで、ストレングス・ファインダーは一つの参考になるものだと思います。ご興味があれば、試してみてください。

 

オンラインの診断はこちら(ギャラップ社の日本語サイト)。

https://www.gallupstrengthscenter.com/Purchase/ja-JP/Index

 

書籍はこちら。

ライフシフト

メール/メッセージの ”セブン・イレブン” ルール

NHKラジオに「実践ビジネス英語」というラジオ講座があって、時々ブランクがありつつも聴き続けているのですが、先日この講座の英文のテーマとして、効率的に(生産性を高めて)メールを使う、というのがありました。

すでに、特にスタートアップ企業とのやりとりでは、普段のやり取りの主役はもっぱらメッセンジャーサービスで、改まった時だけ(たとえば、初めてのお取引先とのやりとりなどは)メール、といった感じです。言ってみれば、郵便を出すような感じでメールが使われている。従来型の企業で、一定以上の役職者の人事異動や組織変更の時に上質な紙に(縦書きで)ごあいさつ文を印刷し、筆耕した封筒でお出しする感覚にちょっと近いかもしれません。

その意味では、メールだけでなくメッセージのやり取りもそうですが、際限なくやるのではなく、少なくても相手がオフの時間には送らないようにし、自分もメールやメッセージの送受信にあてる時間を限定し集中させることで、プライベートをお互いに尊重し、生産性も高めよう、という動きがある、というのが主旨でした。

90年代半ばのビジネス現場でのメール導入初期には、まだ”上司たち”がメールを使っていなかった(使えていなかった)こともあり、その優越感も手伝ってメールを使える若手同士で昼夜を問わずやり取りをしていたのを思い出しますが、もはやそれも20年以上前のこと。

自分が年齢を重ねたこともありイレギュラーな時間帯や休日に(年長者が)送信することで相手に負担(特に心理的なもの)をかけるのもよくないし、独立したこともあって、ますます時間の有効活用が課題という認識もあり、自分としても、なるべくメールやメッセージのやり取りを平日のビジネスアワーに限定し始めています。できれば、メールチェックはデスクでは1日に3回くらいに集中して行い、あとは移動中にモバイルで、というくらいに出来れば理想と思ってはいるのですが。

とはいえ、書くのに時間がかかる内容もあるので、最近は深夜や休日に書いたものは下書きとして保存しておいて、平日の朝を迎えたところで送信、というのを心掛けつつあります。

折しも働き方改革とか生産性向上が叫ばれるご時世でもあり、メールやメッセージは、緊急対応などを除いて平日朝7時から夜はどんなに遅くても11時まで、この ”セブンイレブン” ルールを徐々にでも導入し、将来的には完全に守れるようにしたいと思っています。

ところで、このテーマもそうですが、アメリカのビジネス界の日常的な風景というか、ニュースにはならないような最新の”空気”が感じられる「実践ビジネス英語」の教材は、単に英語のスキルアップにとどまらず興味深い内容が含まれていたりしますので、ご興味があればテキストの和訳を読むだけでもおすすめです。

人重視と役職重視

営業部門に属していた頃の年中行事のひとつに、取引先名簿のメンテナンスがありました。お取引先の人事異動や組織変更を名簿に反映させるもので、この更新をもとに、年賀状や昨今は大変少なくなりましたが中元歳暮といった時候の贈り物の手配が行われるという仕組みです。

このメンテナンスには大きく2つの基準があり、ひとつは「役職重視」もうひとつが「人重視」と呼ばれていました。前者は、役職を固定してそのポジションにある人が変わると人名を書き換えていくもの。後者は、人名を固定し、その人の役職が変わるとそれを書き換えていくものです。

どちらの基準で更新するかは、部署内のベテラン(役職者や年長者、あるいは長年担当している人)に確認しながら行われていたのですが、圧倒的に「役職重視」の方が多かったように記憶しています。「人重視」で、役職がどうなろうとも名簿上に名前が残り続ける人は圧倒的に少ない。それが、名簿のメンテナンスにとどまらず、日本企業のビジネスパーソン一般の標準的なおつきあいの原理なのだなぁ、ということを、今になって改めて感じます。異動があるとドラスティックなまでにあっさりとそれまで日々連絡を取っていた関係先の方々とのお付き合いが止まってしまう、というケースもたくさん見てきました。

一方で、海外のビジネスパーソンの場合はむしろ「人重視」の行動をとる人が多いように感じます。あるとき、親しくなりつつあった海外企業の方から、その企業が関係するカンファレンスへの参加の打診があり、自分では役不足と思って上司に参加を検討してもらおうと思うと返答したところ、「招待するのはオマエであって、お前の上司ではない。」とキッパリと言われたことがありました。結局この時は調整がつかず参加を見送ったのですが、その後も同じようなことがありましたので、海外とビジネスされる方においては、この点は留意しておいた方がよいと思います。

海外企業(と一括りにするするのはやや乱暴かもしれませんが)の場合、日本とは違って転職もごく当たり前にあり、新任者と前任者が同じ会社の先輩後輩の関係であることが多い日本とは異なりますから、役職重視の考え方ではいつまでも人的な関係が構築できないままになりかねませんので、こうした人重視のやり方が合理的ということもあるのでしょう。

たまたま「定年後」という定年後を扱った本を読んだ中で、退職して予想以上にぷっつりと勤め先とのご縁が切れ、自分の名前を呼んでもらえる機会は病院に行った時くらい、というエピソードが紹介されていて、取引先名簿のメンテナンスは役職重視が原則だったことを思い出したのでした。これから日本の働き方が変わっていくとき、名簿はともかく、一人のビジネスパーソンとしてのお付き合いはおのずと役職重視から人重視に変わっていくように思いますし、そうでなければ変化に対応していくのは難しいのではないか、と感じます。新しい事業を作ったり、あるいは新たに会社を興し仕事を作る、という場合を考えても、大企業の子会社であるなら別かもしれませんが、人重視のつながりがないと、なかなか難しいのでは、というのが実感です。

自分の場合、かつてのお取引先やあるいは同じ職場だった方々と「人重視」のお付き合いを頂いているケースが多く、在職中や退職時に気にかけてご連絡を頂いたり、また独立してからの仕事も、こうしたつながりから頂いていることを思うと、改めてその有り難さを噛みしめる日々です。

 

(以下はアフィリエイトリンクです。)

TOA17(ベルリン)に行ってきました

ベルリンで開催されたTOA、Tech Open Air に参加してきました。今年で6回目ながら、なかなか行く機会に恵まれず、今回が初めての参加。

ベルリンの郊外の会場で、7/12,13の2日間にわたって、会場内の7か所ほどの講演会場でそれぞれ10分~20分程度トークセッションが朝から夕方まで続いていくというスタイルのメインイベント。展示的なものもありますが、非常に限られていますし、スタートアップ向けのプログラムの説明・相談会的なブースもあり、写真に撮ればわかる、といったものは非常に少ない印象。これに加えて、ベルリン市内の各地で、メインイベントの時間帯を避けた7/11~14の期間に開催されるサテライトイベントがあります。この2つで構成されるのがTOAの全体像。サテライトイベントは原則無料ですが、メインイベントは購入時期や参加内容によって異なるものの、最低でも3万円程度のチケットを購入しなければ聞くことが出来ません。まぁ、欧州の主要なコンベンションであれば、特に驚くような値段ではありませんが、日本の展示会等の価格の相場からすると、高いと感じるかもしれません。

写真にとればわかるという展示イベントではなく、延々と続くトークがメインディッシュ。メインイベントのセッションはすべて英語でした(サテライトイベントによってはドイツ語で実施されているものもありましたが)。この場で有名企業の特別な発表があるわけでもなく、トークセッションの会場が大小7つほどあるうえ、開始終了の時間がそろっているわけではない、という状況ですので、自分が選んだセッションを聴くだけでTOAの全体をつかんだ、とはなりません。また、小さな会場だと人があふれて入れない、ということも実際に何度か経験しました。その意味で、誰一人として同じTOA体験はない、ということだし、ネットで取り上げにくいイベントだろうなぁ、と。ことTOAに関しては「参加しなくてもネットを見れば書いてある」という状況とは言い難いです。

 

実際、TOAはなかなかニュースになりません。日本語でヒットするのは、下記の記事くらいでしょうか。これをTOAの記事というのかどうか、という内容ではありますが、写真付きで軽く読み流せるもの、となると、こうするしかないのだろな、と。

 

味覚で楽しむ「Tech Open Air」:青空のもとで味わったトラックフード7選

https://wired.jp/2017/07/15/tech-open-air-food/

 

東京でTOAを、という動きもあるようですが、ベルリンのTOAのスタイルのまま持ってきても、話題性の点ではなかなか難しいのかも、と感じたところです。

 

ある人に言わせれば、TOAは参加者が増え、スピーカーと直接講演後にコンタクトをとるといったこともやりにくくなったいま、TOAに参加するよりも、登壇者が他所で行ったスピーチをYoutubeででも探して観れば十分ではないか、と。

それも一理ありますが、私にとっては、普段なかなかまとめて情報がとりにくい欧州のスタートアップ関連動向に関する情報のシャワーを密度濃く浴びるいい機会だったし、自分のお得意様や自分自身にとってどのセッションが有益そうかを考えて参加セッションを選び、メモを取りながら聴いて、あとからメモを見直したり講演内容を思い出したりしながら、TOAの講演に限らない複数の断片的な情報を編みつつ、今後の「柱となる流れ」を見出していく、というのは、ちょっとしたゲームの要素もあり楽しめるものでした。また、しばらく欧州事情から遠ざかっていた自分にとっては、よい「リハビリ」にもなったように思います。

せっかくお金と時間を使って参加してきたものですので、自分なりに見出した「柱となる流れ」の分析結果と活かし方については、弊社の各お客様ごとにカスタマイズしながら順次リポートさせていただきます。(リポート後に少し時間を置いて、有料リポートとして一部公開するかもしれませんが、そこはまだ未定です。)

数社の日本企業の人たちと会場で会いましたが、このようなイベントに参加できるよう、参加者の方々が上司を説得された労力・テクニック、あるいは部下を送り出した上司の方々の度量といったものに、改めて敬意を感じたところです。

もし、日本企業の方で来年のTOAへの参加を考えられているなら、今年のスタイルの実施である場合は、英語を聞き取れる社員さん複数名での参加がおすすめかと思います。手分けして異なるセッションに参加し、事後にその情報を集約して「流れ」を見出せるなら、それは次の動きを占う手掛かりになるはず、と思っています。

ともあれ、夜も21時くらいまで明るいこの時期のベルリンで、終了後に、その日に自分が参加したセッションのことや感じたことなどをツマミに(もちろん、ソーセージも)同僚や会場で知り合った人などとビールなど飲むのは、非常に贅沢な時間になるのではないか、と思いました。

年下の人たちとのおつきあい

出向していた時からそうなのですが、気が付けば、その場で一番年をとっているのが自分、という環境の中で過ごすことが当たり前になって、もう6年くらい経ちます。

それは、決して自分がその組織のトップである(だった)ということではなく、職場であれば役職として自分より上位の人が年下であったり、お取引先の方が皆さん若い方だったり、あるいはバラバラな組織に所属している人々の個人的な集まりであったり、状況は様々ですが、単に生まれたのは自分が一番早い、あるいは、そうでありそうだなということがとても多く、会社を辞めてからも、それが普通な日々の生活。

なので、たまたま、自分と同じか年上の方の方が多い場に行った時にとても不思議な感じがして、また、そう感じている自分に驚いたりします。

人生90年100年が当たり前になると言われているこれからの時代、もちろん、自分の年上の方々も長生きされていくわけですが、長くなる人生の中で、自分より年齢が若い人たちとのつながりが薄いと、それはそれで味気ない人生の終盤になりそうな気がします。

もちろん、同年代ならではの親近感とか、年上の先輩たちに囲まれることの安心感といったものは、これからも大切であり続けるものです。そこに、年下の人たちと一緒にいることの楽しさといったものが加わるなら、なおさら良いことではないかな、と。

もちろん、そのためには、先輩風吹かせたり、小言ばかり言う年寄りであったり、という、最近でいうところの「マウンティング」をするのではもちろんダメで、年齢が違っても共通して話せる話題とか、一緒に楽しめるアクティビティとか、そういうものが重要になるよなぁ、と。

実は、普段一緒にいる若い人たちには陰でウザがられているのかもしれませんが(だとしたらすみません 苦笑)、少なくても自分が受ける感じとしては、それなりに(?)自然に受け入れてもらっているような気がしていて、そうであるなら、とてもありがたいことだなと思っています。