創業2周年を迎えて

先ほどふと気が付いたのですが、今日は弊社の創立記念日。創立から丸2年が経ち、3年目に入りました。

弊社との関わりを持っていただいている皆様に、改めて御礼を申し上げたいと思います。想像していたよりも、はるかに事業・経営に苦労せずにここまで来れていることは、ひとえにお取引先様をはじめとして、弊社に直接間接に関わってくださっている皆様のおかげです。

手探りの1年目を経て、2年目はそれなりに事業の見通しもある程度たつようになったので、しばらく中断していた海外での情報収集を再開し、昔馴染みの展示会から新たなカンファレンス参加、そして同行のお誘いをいただいた視察なども精力的に行かせていただきました。

R&Dないし製造業でいえば”設備投資”に当たる先行投資で、果たしてそれが事業にプラスのインパクト(必ずしも目先の売り上げだけではなく)をもたらすかどうか、当初は少し不安でしたが、何より、まだ創立2年にも満たないにもかかわらず1年以上のお取引を頂いているお客様に役に立つと思われる情報提供ができた(と思えた)ことで、これは続けて行くべきだと確信をしました。そのぶん、コストを抑えて、直行ではなく乗り継ぎの安いチケットを探して、というのが基本ではありました。

また、自分なりにバズワードとなっているような最新テーマについて、深く掘り下げて考える材料と時間を得ることもできましたし、バラバラに見てきたことの蓄積が1年を経て頭の中で組み上がって、一つの像を結ぶような感覚を持てるようになったテーマもあります。

こうしたおかげもあってか、日本経済新聞社さんの「COMEMO」というサービスにキーオピニにオンリーダーとして、寄稿をさせていただき、また日経新聞とnoteの共同企画である「Nサロン」で、海外視察のゼミを持たせていただくことになりました。

COMEMO
https://comemo.nikkei.com

Nサロン
https://nsalon.note.mu

オープンにできることはそのくらいなのですが、おかげさまで、一人でやっている会社としては、かなり多くの案件に関わらせて頂き、それもほとんどが単発ではなく、継続的に関わらせていただけていることはありがたく、またとても興味深く、誤解を恐れずに言えば大変楽しく仕事をさせて頂いています。

仕事が「楽しい」と感じることには、まだ少し罪悪感のようなものが残っていることを発見したり、これもバスワードである「働き方」についても、改めて自分の経験や考え方の変化を通じて、掘り下げて考えた1年でした。

経済の見通しは世界的にも不透明であり、日本はジリジリと遅れをとって失われた数十年の記録を更新し続けているような状況ではありますが、この先も細々とではありますが、目の前の案件、目の前のお客様の課題を、微力であっても何かしらのプラスを付け加えていくこと、それを3年目も継続していきたいと思っています。

改めて、今後ともアクティブビジョンをよろしくお願いいたします。

副業解禁の議論で見落とされている「お金以外の報酬」

こういうことを言う人が(ようやく?)出始めたなぁ、と思いながら読みました。

”これは冗談でも何でもなく、企業の管理職以上の方、飲食店を営業されている方は、マクドナルドで3ヶ月でも半年でもアルバイトをしてみると良い。気構えだけでない「人を育てる仕組み」というのがどのようなものかわかる。”

https://comemo.nikkei.com/n/n9fa61da7c095?magazine_key=mb7af516ae320

副業解禁の流れで典型的な論調だったのは「とはいえ、コンビニのレジ打ちバイトなんかしても…(大して家計の足しにならない)」というもの。

確かにそれはその通りで、賃金が上がらないうえに残業代が減って深刻な人もいるだろうと思います。ただ、細切れ時間でできる副業で時給ベースの仕事であれば、特別な資格などがあれば別として、せいぜい時間あたり数百円の違いにしかならないでしょう。

そうであれば、その仕事をすることで得られる「お金以外の報酬」に注目する、という発想があってもいいのではないか、と思います。

この例で言えば、マクドナルドの店を回す仕組みが、わずかとは言えお金をもらいながら学べるのです。コンビニのレジ打ちをすれば、その店のその時間帯限定とは言え、どんなお客様が来店し、何をどのくらいの金額で買っていくのか、その店のその時間帯でよく売れる商品は何か、というマーケティングデータの一部を、お金をもらいながら知ることが出来る。そういう発想でバイト仕事を眺めてみると、どうでしょうか。

先日、ある人とこの件について雑談していたのですが、この「お金以外の報酬」を受け取れる人とそうでない人がいるよね、という話になりました。お金に汲々としてしまうと、お金ではない報酬に目がいかなくなるのか、あるいはそれが見えないのか、いずれにしてもうまくそれを受け取れない傾向があるように思います。

「学生じゃあるまいし、いいトシをしてバイトなんて」と思うかもしれませんが、ある事業の舞台裏を知ったり、事業運営のノウハウ(企業秘密とも言えるかもしれません)を教えてもらったり、知らなかった仕事・職業があることを発見したり、(立場を変えて)人間観察をしたり、と、「お金ではない報酬」にフォーカスすると、バイト仕事は案外奥が深い、しかも、お小遣い付きなのです。

自分で興味が持てたり、本業の役に立ちそうな知識や情報が得られたりする副業を、お金ではない報酬を目当てにしてやってみると、「副業解禁」で広がる風景が違ったものに見えるかもしれません。もちろん、副業で知ったことは守秘義務のモラルを踏まえて活用することが大前提です。

日経新聞の新規事業「Nサロン」に協力します

既に発表され、第一次の参加者募集が締め切られたところですが、日本経済新聞社とnoteが共同で行う新規事業「Nサロン」に、川端が協力・参加することになりました。

 

日本経済新聞とnoteが共同で新コミュニティ「Nサロン」を開設し、会員募集。ビジネスとクリエイティブで化学反応を起こす場に。

 

具体的には、Nサロン参加者が主体的な活動を行う「ゼミ」の一つ「海外イノベーション現場の発掘術」を担当することになります。詳細概要は、下記をご覧ください。

海外イノベーション現場の発掘術 – 「Nサロン」ゼミ

 

この場でも、経緯等について随時ご報告していけたらと思っています。

一方通行であった新聞メディアが双方向、あるいはそれ以上の関係性をユーザーととり結ぶコミュニティでどのような事業展開が可能か、関係者の皆様とご一緒にトライして行きたいと思っています。

起業家教育を多くの人に

ひょんなことから、かつての出向先でスタートアップへの投資や育成に関わらせてもらったことがきっかけで、起業家と呼ばれる人たちと(本格的に)お付き合いをするようになって7年ほどになります。

組織を離れた今も、数社のスタートアップに関わらせてもらい、定期的にオフィスに行ってそこで仕事をさせてもらうなど、日常的にスタートアップ企業との接点があるので、「スタートアップの今」については引き続き一定の肌感覚を維持しているかと思いますし、自分にとっては馴染みのある、空気のような当たり前のことになっています。

ただ、それは一般の企業に勤めている方の多くにとっては、当たり前のことではないのだな、ということを、大企業の方と話していて、改めて気づかされることが少なくありません。大企業が困っている課題の解決に、スタートアップが取り入れている手法やサービスが役に立つ、ということも少なからずあるように思うのですが、そうした情報を大企業の人は知らないことが多いな、と感じます。

その意味で、起業家を生む教育は、起業家にならなかった人にも役に立つのだと感じます。リンク先の記事を読んでいると、先行する米国とそれを追う欧州の事情がわかるのですが、日本の教育機関でこうした取り組みがどうなっているのか、残念ながら私には詳しいことがわかりません。おそらく、欧州の後塵を拝する、というような状況であるのかな、とは思っています。

> コラム-ヨーロッパにおける起業家教育事情-

起業家を育てるだけでなく、既存の企業や事業をより良いものにするためにも、起業家教育が充実することの意義は大きいと思うのですが、一点気になるのは、どうしても日本の場合、アメリカのスタイルを無条件・無批判に受け入れてしまいがち、ということ。

リンク先でも指摘されているように、

ヨーロッパの価値観では起業家教育はValue for othersに力点が置かれているが、ここが米国ではValue for myselfに力点があるということだ。日本人の思考回路はヨーロッパに近いと言えるのかも知れない。

これは、私も漠然とながら感じることと共通しています。スタートアップにとって、VCが非常に(圧倒的に)大きな力を持つ米国と、大企業の役割が相対的に大きいと思われる欧州の違い、ということの反映でもあると思います。そして、その面でも日本は米国型ではなく、欧州型に近いのではないでしょうか。

ともあれ、日本の大企業のイノベーションのためにも、また今後の個人のスキルセットという観点でも、起業家教育の充実は重要なポイントだと感じますし、記事にある他国の事例のように、小学生の段階から起業家教育をスタートさせることの重要性は、時代の大きな転換期を迎えて、今後ますます大きくなるのではないか、と感じるこの頃です。

3期目を迎えて

11月に入り、おかげさまでアクティブビジョン株式会社は3期目に入りました。

会社設立が昨年2017年の3月ですから、実質的にはまだ一年半ちょっとですが、決算期を10月末にしている関係で早くも3期目ということになります。

まだ、会社を経営しているという実感が湧かない、というか、何をどうすれば売上が伸びるのか、とか、自分の会社にとって「営業」とは何をすることか、といったことが、正直に言えば今ひとつピンとこないままに来ています。何とか(一人だけですが)家族を養っていける程度にはなっている中、自分一人だけで回している会社で、これ以上売上げを伸ばすということの意味は何だろう、とか、人を雇うとして、それはどういう状況で、どういう人を会社に迎えるのだろう、とか、いろいろ考え出すと迷路に入り込む感じがしています。

すでに、いわゆる事務仕事的なものは、オンラインサービス含めた外部にアウトソースすることが容易かつ一般的で、実際にそういうアウトソースをしていることもあり、間接部門的な役割の人を雇用するということは少なくても当社のような零細企業においてはリアリティがありません。

一方で本業の方は、うまく一言で説明できないような、かなり属人的要素も含めた業務内容であるために、新人を(中途採用含めて)雇用して数ヶ月の研修をすれば何とかなる、という性質のものでもないため、定期採用的に人を増やすということも、あまりリアリティのない話というのが現状です。

「ギルド」的なものを新しい時代に沿った形で構想しなければいけないのかも、といった話も、似たような仕事の仕方をしている人同士ではしたりするのですが、まだちょっと具体的に像を結んでいないところ。

すでに、AIなどを活用して、売上を伸ばしながら従業員数を減らしている企業も出現している時代なので、売上の拡大と雇用の拡大が無条件に比例するというのは、古い考え方だとも思えますし、必要な時に必要なお金が手元にあればいい、とするなら、不必要に売上が拡大しても、手元にお金がダブついているのでは意味がないし、前時代的な気もしてしまいます。

そんなわけで、自社の経営に関しては手探りしながら日々過ごしていますが、業務としては、新たなお話もいくつか頂いており、自分がそれに関わることの意義を感じられるものばかりで、その点はゼニカネ抜きに幸せなことだと思います。

そのうちの一つは、早ければ今月中に対外的にも公表される可能性があり、自分がこれまで受け取ってきたことの恩返しが出来るかも、と思っていて、とても楽しみにして準備をしているところです。

とりとめもありませんが、日々いろいろと考えつつ、元気に過ごせていることが何よりありがたいことだな、と。

今後とも、アクティブビジョンをお引き立てのほど、どうぞよろしくお願い致します。

データ(デジタル)覇権を巡る2つの対立軸

データを中心とする覇権争いに関しては2つの対立軸で捉えることが適切なのでは、と思っていたところにこの記事が出たので、自分の思考の整理もかねてまとめてみた。

> デジタル覇権 国家が争奪 米に焦り、対中包囲網

日本の地理的歴史的関係からアメリカと中国に目が行きがちであるが、これら2カ国を見ることでは、大きく2つある対立軸の1つしか見たことにならないのだと思う。

アメリカと中国は対立し、覇権を争うライバルの関係だが、やっていることはどちらも中央集権的な、ある意味では古いスタイルで覇権を握ろうという動きだ。中国はデジタルの万里の長城(いわゆる金盾)を築いてアメリカのGAFAを中心としたサービスを国内から締め出しているが、それによって中国版のGAFAを作ろうとしている、という意味ではアメリカと中国の動きは同じである。それをアメリカではGAFAという企業が、中国では政府が主導している、という主体の差にすぎない。中国の一帯一路についても、こうした動きの一部をなすものとして理解しておくべきだろう。

この米中2大勢力の存在のみを前提とするなら、日本はどちらにデータ覇権を握らせるのか、という選択肢しかなく、自国のデータを渡す先が違うだけ、ということになってしまう。

 © aKtivevision Ltd.

ここで見ておくべきもう一つの対立軸は、アメリカのGAFAに対してGDPRで牽制をかけるEU(欧州)の存在。EUという国家集合体の性質上も、彼らは脱中央集権ないし非中央集権的なデータの保有と利用を志向しているように見える。もし中国がEUに対してGAFAのような攻勢をかけるのであれば、EUは対アメリカと同様にGDPRでその動きを牽制することになるだろう。

EUを離れようとしている英国は、この構図の中で、どう振舞おうとするのか。ブレクジットを反EU的な動きと理解するなら、アメリカと同じ中央集権的な動きに与する、ということになるのだろうか。記事中の図にあるように、英国の握るデータ資源は米中に次ぐシェアを持っているだけに、ここはもう少し見極めが必要であると思う。

このように大きく2つの対立軸があり、英国の動きが不透明であるという中で、日本はどのようにポジションを取るべきか。この先は、個々人の考え方によると思うのでここでは立ち入らないことにしたいが、

  • アメリカと中国の対立に対して、どう対応するか(対立軸1)
  • 米中とEU(欧州)の対立に対して、どう対応するか(対立軸2)

という2つの視点で考えていく必要があるのではないか、と思っている。
そして、データないしデジタル覇権に限らず、この対立軸を意識しながら全体像を理解することが、この先の世界を考えていく上で重要なことだと思うのだが、冒頭にも書いた通り、どうしても米中のみに視線がいってしまいがちであるわれわれは、2つ目の対立軸を意識的に見ておく必要があると感じている。

(COMEMOより転載)

新しい「雇い方」=「働き方」のきざし

最近、求人サイトなどを見ていてきざしを感じるのは、雇う側も「自由な雇い方」になってきているのかな、ということ。まだまだ、少しづつの変化なのですが。

この変化は、1)自社の事業である新規事業の支援の過程で起こる人材募集の観点と、2)組織を離れて独立した自分自身の起業プロセスの観点の両面で、非常に興味深いものと感じます。

これまで求人というと、かなりカッチリしたフォーマットで募集されていて、例えばアルバイトであれば、何曜日の何時から何時までの勤務、休憩は何分で時給はいくら、といったことが、あらかじめ規定されているものでした。

これは特にいわゆる「下請け」とか「外注」の請け仕事だと、元の発注主に対してもこうしたカッチリした条件での契約をしている関係で、そうならざるを得ないんだろうと思います。また、大企業だと、コンプライアンスだとか管理の都合上、こうしたフォーマット化されたもので労働を把握し管理して行かなければならない、ということもあるのでしょう。

しかし、冷静に考えると、例えば書類の仕分け作業で納期・完了期限が毎週金曜の15時であれば、それに間に合うなら、仕分けが終わるのが2日前の水曜日の午前中であろうと当日金曜日の朝であろうと構わないはずです。それを、木曜日の10時から15時までの事務作業という形で、時間や賃金を原則固定してアルバイトであれ、さらには社員であれ雇用してきたのが従来の方法でした。

しかし、この従来の雇い方だと、水曜日なら時間が空いているのに木曜には別な予定がある、という人に仕事を依頼することができません。仮にその人がとても正確で優秀な書類仕分けのプロであったとしても、木曜の指定時間に来れる人がちょっといい加減でミスをよくするような人しかいなければ、その人に頼むしかなかった。

そして、求人関連のサービスも、こうしたカッチリしたフォーマットに沿って組み立てられているので、自由度の高い求人というのがそもそも難しかった、という事情があるのかもしれません。

最近になって、費用を払って利用する従来型の求人サービスの他に、ジモティのようなローカル情報の無料掲示板サイトで求人したり、求人サイトでもindeedスタンバイのようなリスト型・検索型で掲載無料のものが出てきたりしていることで、特に中小企業でも若い会社の求人は、こうしたサービスやサイトを通じて行われ始めているように感じます。

そうした会社の求人は従来の求人スタイルからは自由で、たとえば時給は◯円だけど終わってしまえば帰っていいです、というような実質的に出来高払いであったり、だいたいこのくらい払うけど時給で払うか1回いくらで払うかは相談して決めましょう、といったものを実際に見かけています。また、働く時間についても、いついつまでに終わっていれば問題ないから、それまでに終わらせてくれればいつやってもらってもいいです、といった求人も、やはり実際にありました。

まだアルバイトがメインですが、こういう求人募集が出てきてることは、これからの雇い方の進む方向を示唆しているように思います。

労働法制的に、こうした求人やそれに基づく雇用が現行法上問題ないかというと、微妙な部分はあるのかもしれません。ただ、適性や能力に関係なく時間で拘束し、働く側の都合より雇う側の管理の都合で勤務時間を拘束する、というやり方は、人手不足の今の日本においては、ふさわしくないものになっている、ということは言えると思います。

もちろん、こうした雇い方ができる仕事とそうでないものはありますが、一律に労働時間の長さと給与や働くタイミング(日時)を固定した「働かせ方」は、副業の解禁などとともに、再考するする時期に来ているのかと思います。

それをやると労務管理が複雑化する、という声が聞こえそうですが、そういう仕事こそデジタル化し、近い将来にはAI等も導入して管理すればよく、ついでに会社の管理部門のスリム化を図っていく、ということが大切なのではないかと思います。

そして、こういう働き方が一般的になるなら、仮に組織を離れて独立しても、自分の事業が軌道に乗るまでの間は、自分の事業に支障のない空き時間に自由度の高いアルバイトなどの雇われ仕事を取り入れて最低限の収入を確保する、ということが可能になるはずで、そうすれば独立に対するハードルも低くなるのではないか、と思います。

さらには、自分の事業と直接間接に関連するようなアルバイトをすることで、単に収入を確保するだけでなく、雇用主との人脈形成や、業界知識の習得、リアルな定性的マーケティング情報の収集など、お金では測れない価値を得ることすら可能でしょう。この点ついては、以前にも指摘しました。

 

実は私も、ご近所の貸会議室の管理の仕事を見つけたので、自社事業とは別に個人としてそのアルバイトを始めています。金額的な実入りは微々たるものですが、時給とはなっているものの、やることをやればそれでOK(規定時間ではなく成果に対する報酬)で、前回の利用から次の利用予約までの間の都合の良い時にやればよい、という雇用主側からの承諾をもらっているので、自宅の行き帰りの少しの時間を使ってやるだけですから、負担も微々たるもの。その代わり、会議室を借りたいとなればそこを借りればよいですし、貸会議室ビジネスの実情(稼働率など)も見えてくるなど、興味深いものがあります。また、雇用主との良好な関係もあり、出張不在などの際に融通を利かせてもらえるのも、さらに柔軟な働き方が出来てありがたいところ。

近い将来には、こういう雇い方=働き方が増えてくるのだろうと思われ、そうなれば自分が働くことをもっと柔軟に組み立てられることになるので、組織に属するか否かという境界線も今よりは曖昧になって、独立を考える人にとってはハードルが低くなる可能性もあるかな、と思っています。

ただ、働く側が、そうした働き方に順応して労働観をアップデートし、自分で組み立てるスキルを持つことは必要にはなってくるので、雇う側とともに雇われる側(働く側)の意識も変わっていく必要はありそうです。

台北での IISC Forum「物聯網晶片化整合服務新創國際論壇」で講演

仕事の性質上、普段の業務内容を公表できることがなかなかなく、珍しくそういう機会に恵まれましたので、近況報告を兼ねまして。

2018年10月11日に台北で開催されたIISC Forum「物聯網晶片化整合服務新創國際論壇」で講演をさせて頂きました。TAITRONICSというエレクトロニクス関連の展示会と併催する形でした。

当日のプログラムはこちらに。

 

 

演題は「IoTスタートアップにとってのボトルネックとその克服法」。

当日の概要は、ご興味ありましたらリンク先の記事(中文)をweb翻訳等を活用して読んで頂ければと思いますが(記者さん、とてもよくまとめてくださっていると思いました)、次の主力商品を真剣に探そうという台湾の半導体業界と、それをバックアップする国の姿勢がひしひしと感じられたフォーラム(論壇)でした。終了後の質疑応答も、制限時間いっぱいまで挙手をいただけ、厳しいご意見もありましたが、それも含めてご関心を寄せて頂いたことを大変ありがたく思っています。ご参加の皆様に、多少なりともお持ち帰り頂く価値のあるお話になっていたなら、曲がりなりにもお役目を果たせたかな、と思っています。

講演に使ったスライドは、ご参考までにこちらに載せておきます。

VIVA Technology, TOA, Computex/Innovex, IFA, Innotransはじめ、ここしばらくで見てきたこと聴いてきたこと感じたことを、スライドにも口頭での発表にも質疑への応答にも盛り込みましたので、それなりにオリジナルな視点で構成出来たのでは、と思っていますが、評価するのは聴き手ですので。主催者からは、ポジティブな反応だったとお聞きしているのですが、ネガティブなコメントも含めて、お聞かせ頂けるようにお願いしているところです。

拙い内容に拙い英語での講演であったかと思いますが、それはともかくとしても、だらしない格好で、年寄りくさいし、身長も低いし、どうにかならんのか、と写真をみた家人に叱責されてしまいました。確かにその通りで、身長だけは如何ともし難いですが(シークレットブーツ?)、もう少し見てくれだけでも改善しなければ、と反省。

一層精進してまいります。

>> 工研院今辦論壇 率專家為物聯網新創公司找方向 (聯合新聞網)

今の日本に足りないもの

3週間のWorkation を終え、その後ウラジオストク見学と台湾での講演を終えて、少し落ちついたかな、という感じです。

久しぶりに、海外でのインプットをじっくりと行い、また講演というアウトプットとそれに対する質疑応答などのディスカッションもした後で、痛切に感じることは、前回もちょっと書いたのですが、「考えること」が今の日本に必要とされているのではないか、「考えること」があまりにも少なく、あるいは薄くなっていないか、ということです。前回書いたことを読み直してみると、さらっと触れていた「考えること」についての必要性・重要性が、日増しにより大きな課題であると思うようになっています。

今週開催されていたCEATECでは、これまでに比べると、展示の内容もずいぶん様変わりし、時代の変化をより多く取り入れるようになっていると感じて、それはとても素晴らしいことだと思います。

ただ、展示されているものの中に、クルマに積まれた移動式ATMであったり、専用ハードを使った店舗の順番待ちを知らせる呼び出しベルシステム(フードコートなどで注文すると渡されて、自分の料理が出来上がると鳴ったり振動したりするアレです)があったりすることは、ちょっと不安になってしまいました。

確かに、今日明日のビジネスと、未来のビジネスでは求められるものが違い、今日明日でいえば、いきなりATMや呼び出しベルが要らなくなったりはしないので、そういうモノの必要性は否定しません。

ただ、本当に未来については別、と考えているのだろうか、というのが、不安なのです。

例えばキャッシュレス。にわかに注目されていますが、その根本には、現金を扱うことに伴う膨大なコストとリスクを劇的に減らして、社会の効率化を促す、という目的があるのだと理解しています。

お札や硬貨の製造にかかるコスト(単に原料だけでなく、偽造防止の技術開発なども含めた人的コストも)、現金を輸送するために輸送車を作り、盗難防止のために警備員を雇い保険をかけ、ガソリン代を使って運んで、高価な精密機器であるATMに補充する。銀行では午後3時にシャッターがしまった後、現金の勘定をすることに高学歴の優秀な人たちの時間が使われ、お店でもレジを閉めると同様の現金勘定が発生、それをある程度自動化するために、より高価なレジ機器を購入し…、という現金を扱うことによって発生しているコストに、私たちは目がいっていなかったし、つい最近まではそれに気がついていても代替手段がなかったわけですが、デジタルテクノロジーの進化とデバイス(主にスマートフォン)の普及がそれを可能にしたわけです。

そうであれば、お金の流れの中に、1箇所でも現金が介在したのでは、他のところがいくら「キャッシュレス」に見えても、それは本当のキャッシュレスではなく、結局は現金にまつわるコストがかかり続けることになります。

また、スマホで事足りる機能を、わざわざ専用の機器を作って対応することも、コストの増加要因になっています。

今の日本で「キャッシュレス」と言われるものには、どこかで現金をチャージしなければいけなかったり、結局は店頭でまとめて現金で払わなければいけなかったりするものも多く、それでは「キャッシュレス」の効果や社会的意義は半減してしまい、私たちのコスト負担も続いていくので、本当の意味でのキャッシュレスを実現した国とは、同じ値段のモノを売っても、コストのかかり方によって残る利益が違うことになります。

これは一例で、そのほかにも、ネットで予約したのに駅の券売機で紙のチケットを引き取らなければならない日本の新幹線のチケットや、海外の配車システムと同じように(乗客からは)見えても、実際には人間による配車室が挟まっていてアナログマッチングになっている日本のタクシーアプリなど、せっかくのデジタル化が中途半端なまま、本来であれば省ける機器や人手が未だに介在していて余分なコストがかかり続けているものが沢山あるのが、日本の現実です。そして、そのコスト分は、給料が一向に上がらない要因の一つにもなっている、と言えるのでしょう。

もちろん、現金輸送車とその警備員や、券売機やATMとそのメンテナンス要員などが要らなくなれば、こうした人たちは失業することになります。しかし、人手不足が叫ばれ、実際にそれが原因で倒産する会社も出ている中で、不要となりつつある仕事の雇用を守ることと、需要があるのに働き手がいないことで事業が行き詰まることとの社会的損失を考えると、どうにもいたたまれないものがあります。人手不足で、今ほど職を失っても次の職につける可能性が高い状況はないと言える時に、こうした社会の適正な作り直しをしていかずして、いつやるのだろう、と。

他にも思うところは多々あるのですが、「キャッシュレス」にせよ「ブロックチェーン」にせよ、技術的な詳細の理解の前に、それらの社会的な意味やインパクト、それらが生まれてきている背景、といった「思想」や「哲学」、ありていに言えば「考えること」がないと、下手をするとあさっての方向に努力してしまうことにならないか。よく考えることをせずに単に現象面だけを追いかけているせいか、日本人としてちょっと恥ずかしいなと思うような出展をしてしまう日本企業の姿を9月の欧州で1社ならず見てきただけに、危惧を強めているこの頃です。

3週間のworkationの試みを終えて

 

Workationという言葉、そろそろ1度は目にした耳にした、という方が多くなってきているのではないでしょうか。

work+vacationで、workation。働きながらバケーションを楽しむ、あるいは、休みながら働く、ということ。まだ普通の会社では1日単位の「インプットホリデー」といった制度がようやく出来始めている程度なので、独立し(て起業し)た立場ならではのことをしよう、ということで3 週間、ドイツを中心に欧州に滞在しながらのworkation にトライしてみました。

もともとは、2年に1回開催されるモビリティ関連の展示会Innotransが今年開催されるのと、例年開催されるIFAがいずれも9月のベルリンであることから、その間にあるベルリンマラソンにも参加して、それ以外の期間は現地の友人が部屋を貸してくれるというので、そこにお邪魔しながら家族も呼んだりして、vacationを中心に組み立ててこれを夏休みにしようと思っていたのが昨年末の頃の構想。

しかし、ベルリンマラソンの抽選には落選し(結果的に、偶然にも参加権付きの現地ツアーが見つかったので、それで走りました)、他にも3つの展示会やカンファレンス、視察への参加のお誘いをいただいたりなど、直前まで予定が変わり続け、気がつけば、ベルリンマラソン以外はほとんどvacationの要素がない、という「出張」に変わってしまった、というのが実態でした。

とはいえ、普段とは異なる環境で多くの時間を一人で過ごしたことは、時間をとってさまざまなことをじっくり考えることが出来たと同時にリフレッシュにつながりましたし、一方、カンファレンス・展示会などではご一緒させていただいた方々と有意義な会話やディスカッションを得られたことは単なるインプットを超えて刺激的なものでした。

自分への備忘も兼ねて今回のスケジュール概要を記します。

9/3 往路・日本発(台北で某案件(1) 打合せを経て欧州へ)
9/4-5 IFA(ベルリン)
9/7-10 Ars Electronica(リンツ・オーストリア)
9/12-13 DMEXCO (ケルン)
9/14 某案件(2) 打合せ
9/15-16 ベルリンマラソン(前日EXPO含む)(ベルリン)
9/18-20 Innotrans(ベルリン)
9/21-22 某案件(3) 視察(ストックホルム・スゥエーデン)
9/23-24 復路・日本着

ということで、ここまで見事にスケジュールが埋まるとは、という感じです。移動も仕事関連の予定も全くなかった日は、9/17の1日だけでした。このほか、ベルリンマラソンを別として7回、滞在地を朝に走ることも取り入れ、滞在中の心身のリフレッシュと街の様子を知ることに大いに役にたちました。

期間中の土日よりもフリーの日がはるかに少ないので「これじゃworkationじゃなくてworkだよね」と話したら、勤め人であるドイツ人の友人から「でも、やらされ仕事はゼロでしょう?ならWorkationでしょ。」と言われて、ドイツ人と言えどもサラリーマンとしてのストレスはあるのだな、と思ったりしました(当たり前ではありますが)。

参加した展示会・カンファレンスのジャンルが雑食的に多岐にわたるので、個別の話題はひとまず置くとして、3週間を通しての感想は、

「欧州人は、この先の社会の変化を見極めようとして、頭を使って、議論して、考えている。日本人は考えているだろうか?」

ということ。

これは6月のベルリンでのTOAに参加した時にも思ったことですが、場合によると数百年単位での歴史の節目になるかもしれない、そういう時代や社会の変わり目と思われる今という時を、じっくりと観察して、新しいルールをどう作っていくか、ということを(少なくても一部の)欧州人たちは考えている、それを強く感じます。

例えばGoogleが欧州でなにをしようとしているか、というテーマのセッションがDMEXCOでありましたが、1500人以上入れると思われる会場は立ち見が出るほどの満員でした。また、同じくDMEXCOでは、デジタルマーケティングとの関係がまだ密接とは認識されていないのでは、と思われるブロックチェーン関連のセッションも多数開催され、新しくやってくる技術やそれを活用する会社に対して、それをいわば「異物」として、しっかりと認識し、特性や意図などを把握した上で、どう咀嚼するのか、という態度を感じます。

また、Ars Electronicaでは、人体の科学的解明が進んで、生命の神秘がもはや神秘ではなくなろうとし、AIが人体を越えようとしている科学の時代の行き着く先にあるもの、というテーマを、アートがどのように捉えそれを社会に発信するか、という意識を感じました。

いずれも、社会に起きていること、起きようとしていることを俯瞰し把握した上で、ものごとの本質を捉え直し、そこからあるべき姿を見出し、次の時代に向けての方向性を定める、大きな意味での「ルール」を作っていく、という動きの中にある、と強く感じます。

ちょうど昨年ルターの宗教改革から500年だったのですが、さすがに彼ら欧州人はルターの末裔たちなのだな、と思いました(ちなみにルターはドイツ人です)。

翻って、これらの展示会等に出展・参加していた日本企業からは、総じて、そうした思考、あるいは新しい時代への思索、といったものは、残念ながら感じることは出来ませんでした。

別な言い方をすれば、ルール作りに参加する、という意思が感じられませんでした。

もちろん、日本人の長所は、ルールを作るところにはなく、決められたルールに従ってうまくやることだ、ということなのかもしれないし、そうであるならそれはそれで良いのかもしれません。

ただ、従うにしても、いかにしてルールが作られ、その背景の思想はどのようになっているか、ルールが作られていく現場に居合わせておく方が有利ではないか、と個人的には思うのですが、どうも、そういうことでもないようなのです。

もちろん、多数の出展があった中国の企業にもそうした意思は感じないのですが、そのぶん彼らは、かつての日本企業を彷彿とさせるように、新しい技術を積極的に取り入れた製品のプレゼンテーションをし、積極性とスピード感において、日本企業をはるかに抜き去っています。

「日本の鉄道技術(新幹線)の海外への売り込みが思うようではない一因は、(交通に関する)哲学・思想がないからではないか。」という意見を聞いた時には、ひょっとするとそうかもしれない、と思わずにはいられませんでした。

テクノロジーが社会を変える、それも劇的なまでに、という時代であるからこそ、テクノロジーに目を向けることは大切ですが、それ以上に、そのテクノロジーがどのように社会に実装されていくべきなのか、という思索や本質に立ち戻った議論、あるいは哲学といったものが重要になっているのではないか。

20世紀後半において、日本と同様に敗戦国から出発して技術(製造業)で社会を立て直したドイツで、そのような動きを感じながら、日本の今とこれからについて、思うところの多い3週間でした。